友達いないやつがネットを絶つとますます孤独になるぞ!!

「たまには流行りのものを」
と思い、エロマンガ先生とかいうラノベがアニメ化したやつを見た。

すると
友達がいれば、パソコンとかネットとかいらなくないですか?
という「昭和かよ」と言いたくなるようなセリフが、女子中学生のキャラから出ていた。

真面目に突っ込まなくてもいいと思うけど…ただ、自分みたいな境遇の人間としては、
「なにがあってもネットだけは断ち切っちゃダメ」
と思うだけに、ひとこと言いたくなった。

むしろ、ネットがあったから友達がコンスタントにいるのですが…

年配者や明るい人達から言わせれば、
「ネットで友達作ってる人は暗い」
と未だに思われているかもしれない。

友達と出会うきっかけや交流の仕方で
「幼馴染やいつでも飲みに行ける友達がいる人のほうがリア充」
と思っている人もいるかも知れない。

そういうケースも否定しないが…それだけってわけでもない。

ぼくの家は転勤族で、小学校卒業時と高校1年から2年に上がる時に転居を経験してて、学校も転校や編入する形を経験してる。

高校1年生までは友達ができなかったことはないけど、高校2年で性格が一致したクラスメイトが僕にぱにぽにを貸してきたオタクと、中国系のお金持ちの息子という変人二人で、高校3年は人生で初めて全く友達ができなかった。

友達ができないことを、
・編入のせいで合わない偏差値や知能指数
・編入で途中参加だから学校遠い&人間関係的に難しそうで部活動できないこと
などのせいにしたかったけど、それさえ許してもらえず、母親との対立が以前より鮮明になり、顔を合わせて安心して話せるのが妹と父親だけになった時期があった。

…リアルの人間関係が荒んだ頃、妹からニコ動の存在を教わり、受験真っ只中に
「学校では休み時間も返上して、放課後も図書館や喫茶店使って勉強する代わり、家ではニコ動見るんだ!!」
という、【真面目に不真面目】【真面目くんがいきなりグレたら、自分でも制御不能な感じのグレ方になった】という人生を地で行き、大学受験でも話の合わないしょぼい大学に行くことになった。

しょぼい大学でも真面目で律儀なやつがいるんじゃないかと信じ…ゼミっぽい場所で相手の発表に大真面目に質問したりするのだが、これは大学の先生には褒めてもらえたが友達作り的には裏目に出た。

ぼくは調子を合わせるとか、バカに合わせるみたいなことが苦手だった。

真面目な学生ではあったが、バカバカしいと思った授業は出ない。
出てもギリギリの平均点が取れるように計算しながら授業に出たり、単位を取らない方向に行ったり…卒業時の成績だけ見たらどう見ても劣等生みたいな成績だった。

興味のある授業や賢そうな先生にはガッツリ質問していたことなんか微塵も想像つかないような成績。
こんな性格だから、「リアルな人間関係から解脱して、ネットに入り浸る道」を選んでしまう。

神戸時代の自分と話や知能レベルが会う友達とはmixi経由でつながってたり、オタク趣味がきっかけでオフ会経由で友達が若干ながらできたりしてたから余計に
「大学に友達いらなくね?」
となってたし、実際大学時代は大学で友達できなかったが、ネットきっかけの友達は多かった。

その後、時代も学歴も性格も向いてないから就活に苦戦したり、ブラック企業で小競り合いしたり、のらりくらり生きては病んでいき、その当時よりも今の僕は気難しくて、2万人に一人しか僕と気が合う人間はいないそうだ。

でも、ブラック企業や躁うつ病でしんどい時に、
「(ネットで見てると)最近、大変そうだけど大丈夫ですか?」
と言ってくれるのはやっぱりネットの人達だった。

また、自分が人付き合いに疲れて、趣味やお金稼ぎについて探しているときにも答えをくれているのはネットやネットで知り合った人達。

だから、冗談でも
「友達がいれば、ネットとかパソコンとかいらなくないですか?」
みたいなことを言う人を見るとすごい勢いで反論したくなる。

冗談だとわかってるよ?
でも、「冗談だって言ってほしくない」という気持ちは強い。

たかがネットじゃない!
ぼくにとっては「蜘蛛の糸」だ。

透明人間か、機械のように生きられるほど無個性でも従順でもない。
人に評価され続け、理不尽な競争に参加し続けられるほど有能でも利口でもない。

ぼくにそのどちらかでないと生きていけない地獄のような現実に、一本伸びた蜘蛛の糸…それがインターネットだ。

たぶん僕は現実を生きてないし、一定数そういう人がいるんだと思う

「ネットと繋がるのがどういうことか」
を考える攻殻機動隊やlainみたいな作品は「よくできたSF」じゃなくて、むしろ僕にとっては本当に今、目の前で起こっていることだったりする。

(作中に近い概念の物が出てきた)仮想通貨の存在、発達障害や逆に障害が才能になってるプログラマ達の存在・彼らの生き方を知ったら、なおさら攻殻機動隊は現実味を帯びて僕はそっちの世界を生きている気がしてる。

「現実を生きましょう」
みたいに言う人、押し付ける人がいる。

16歳までは勉強もやって部活もやって真面目に現実生きてたよ?

でも、本当に現実に生き残るのはむしろ、その間に彼女作って一般的な校則では禁止されているエッチなことを経験したり、不真面目とも取れるような「中身の無い話(内容のないコミュニケーション)」でしょ?

その不真面目さや、ルールの抜けてるところに気づいて埋めるスキルが無い俺が現実生きて、なんか現実が幸せにしてくれるの?

現実味も実感もないインターネットや、そこに落ちてるコンテンツや技術、うさんくさいと言われるクラスの変人、実際に会っても何者かうまく説明できない頭のおかしい人達の方が、遥かに俺に真面目にコミュニケーション取って、幸せにしてくれてるよ??

そんで、何年来の付き合いなのに、未だに存在定義をうまく説明できない友達は、初対面の時に
「ぼくは現実を生きてない」
と言ってた。

彼の言う現実は「レールの上、道徳的規範」って意味じゃなくて、ホンマに「実在すること」だから、もっと脳的で観念的な話なのだが、自分の日常が日に日に攻殻機動隊やlainに近づいていって、それが「レールの上、道徳的規範」からも「実在するものよりも、非実在のアニメに出てきたある概念」に似通っていってることからも

「そういえば、僕【も】現実生きてなかったわ」
って思う。

…そうそう今日、ツイッターでこんなこと言ってる人いた。

自分を幸せにしてくれる世界のことだけ愛して生きたらいい。

それだけでも案外生きていけるが…そういうところにアクセスする手段がある時代だからネットに繋がる時間は大事にしたい。

ツッコミ待ちのメタフィクションとしてちょっとだけ…面白いです。

僕はそういうところが
「オタクっぽくなくて、ゴールデンタイムにやってる山のようなお決まりとわかりやすさの上に成り立つ中身のないバラエティ」
「今やストーリーを楽しむものではなく、美男美女の顔を楽しむになり果てた日本のダメなドラマ、邦画とやってる子と同じじゃん」
と、思いっきり斜に構えて、一段見下してみてたけど。

 

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