この画像の元ネタは加藤元浩さんの「Q.E.D.」というマンガの32巻だそうな。…僕はドヤ顔でこれを言う人はあんまり好きじゃない。売れるっていうのがどういうことかわかってたらこんなこと言わないから
詳細はめんどくさいから伏せるけど、昨日
「俺は講演は時給いくらだ」
「何度も世論を変えてきた」
みたいなことを言いながらネットで暴れている人に出くわしてしまった。
挙句の果てに
「人気ライターになってください」
とか干支を一周離れた若造の俺に大マジな皮肉まで言ってきたから
「こんな人格破綻者でもリクルートの肩書があれば、高値で仕事を請け負うことができるのか…リクルートのコネすげーなぁー」
って、すげー乾いた笑いが出た。
あーそんなこと見ず知らずの相手に口喧嘩するほど、人間として貧しいアラフォーになるぐらいだったら、僕はアングラでいいや。
アングラでいるのは貧しいし、不安になることはあるけど…ちゃんとした活動と時々値札を管理することさえ怠らなければ、応援してくれる人はつくことが最近わかってきたから、別に…いいや。
金持ちや成功者には人格者であって欲しいものだが…
実際にはそうなってない。
もしそうなっていたら、経済学の権威たちは経済学を学ぶ人達に温かい心や、だまされないことの重要性を説かないだろう。
ところが、悪意のある人や、嘘をつく人が多いから経済学者の名言の多くは、嘘や悪意に対して向けた言葉が多い。
例えば、
「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るためではなく、そのようなものを受け売りして経済を語る者にだまされないようにするためである」(ジョーン・ロビンソン)
とか、
「経済学者は冷静な頭脳と温かい心を持たねばならない」(アルフレッド・マーシャル)
…おかしな話でしょ?
お金というそれだけなら無味乾燥で数字でしかないものを分析しているはずなのに、自分や他人の悪意を意識しているなんて。
ただ、冒頭に述べたような
「俺の講演は時給いくらだ」とか、
「俺はメディアで25万稼いでる」とか、
「俺は世論を変えた」とか…
いい年こいたおじさんがちょっと口喧嘩しただけで、ボケ老人顔負けの自慢話を振りかざして迫ってくるのを見ると、「アラフォーで老害とは?」って気持ちにしかならない…。
しかも、自分が世の中にいい影響を及ぼしているところまで、老害そっくり。
道徳を忘れた経済は罪悪である。
経済を忘れた道徳は寝言である。(二宮金次郎)
逆に言うと、道徳を忘れても経済を語ったり、振りかざしたりできる人は出てきてしまうわけだ…。
では、経済…つまり、お金の流れを自分の方に引き寄せる技術とはなんだろう?
「お金稼ぎ」は手続き!実力は手続きを手助けするものに過ぎない
…よく勘違いされるけど、お金=善悪でも、お金=実力でもない。
全く関係ないとは言わないが、そんなこと言う人は稼ぐ技術とは何かをあまりよく理解していない人だと思う。
お金もらってなくても実力がある人なんて、ゴマンといる。
むしろ、ブログをやってると、博識な素人からのタレコミをたくさん頂く。
しかも、各種メディアを見るよりも博識な素人さんに確認取るほうがマニアックなことについてはむしろ正しいことが多い。
ところが、そういう人は往々にして、自分の趣味・知識を発信する能力が低い。
ブログを書く技術はもちろん、うまくクラウドファンディングのお題目を考えてイベントや資金集めをしたり、自分の趣味を仕事につなげる力があるかと言われたら…それはそれで別の能力になってしまう。
ビジネスの本質は2つである。
1つは発信の有無。
ところが、発信してない人か、発信が下手な人か…。
たまに、どちらもできるのに「発信することをビジネスモデルの中に組み込むことが下手でしんどくて発信するのをやめてしまう人」もいる。
自分で全部やらなくてもいい。
だが、何かしらの発信ツール、発信者とつながっていないと持続的にお客さんを増やしたり、人気を得るのは難しい。
これが人気や収入と、実力が一致しない理由だ。
実力があっても…土俵に上がらないと話にならない。
実力があっても…自分が何をしているか発信し続けないと話にならない。
周囲はでしゃばりだとか、すごい人と比較すると劣るからやめとけとか言うだろうけど、実際には参加しないと何も始まらないのだ。
もう1つは適正な値段付け。
お金を取ることでブーブー言われることもあるが、野次馬を恐れちゃいけない。
何にだってお金がかかるんだから、赤字になるようなことはしちゃいけない。
良いサービスを続ける上で黒字にする努力をないがしろにする人はそもそもサービスを続けられない。
例えば、インターネットの面白い人が2年3年で入れ替わってしまうのは、活動に必要なお金を取ってないから。
お金を払ってでも続けて欲しい人がいるだけの面白い人がいても、お金を払うシステムが確立されてないと、本人の気まぐれでしか続けられない。
「気まぐれで作るからいいものが作れた。だからインターネットでお金を取るべきじゃない」
という人もいるが、残るのはお金をもらう仕組みを作れた人たちだよね。
若くて体力があるとか、作れば喜んでもらえたとか、自分にとっていい状況の時は無料でもできる。でも、しんどい時にがんばるかどうかはお金をもらってるとか、ファンがいるとか、誰かが自分に頼んでくるとか…そういうつながり。
それを仕組みとして取り入れられているかが大事になる。
この2つについて考える具体例として紹介したい。
それが今話題のVALUというサービスだ。
VALUを攻略すれば、お金儲けの本質がわかる?
VALUとは自分の価値そのものに株券のような形で出資してもらうことができるサービス。
実際にお金を得ようと思ったら、サービスに納得の行く値段をつけたり、ユニークな宣伝したり、人に会ったりといろいろめんどくさいのだが…資金集めの手間暇をかなり軽減してくれるサービスが登場したため、「世の中が変わるかも…」とすごく期待をしてる。
僕も「 Humiya MisawaのVALU」というページで活動しているが…こまめな活動を続けた結果、今ぼくのVALUは始めた時の4~5倍になった。
僕よりもやってることがわかりやすいイラストレーターさんや、稼いでて実績のあるサラリーマン、美男美女で見栄えのいい学生さんもいたが、僕のVALUが上がった。
理由は2つ。
1つは僕が多少は知られていたから、僕のことを知っている人がVALUを購入してくれたため。
これはどのSNSでもそうだが、僕がアカウントを開設すると、僕の知名度で10人20人はどんなできたてのSNSにも支援者やフォロワーが現れる。
知名度の重要性はVALUの時価総額上位を見てもらうともっとわかりやすく、僕よりも有名または知られた人しか参加してない。
さっきの話で言えば、「発信し続けること」に近い。活動実績は発信してきた証。
もう1つは「僕はほぼ毎日アカウントを管理し続けたから」だ!
僕よりもポテンシャルが高そうで、有益な活動をしているクリエイターさんはたくさんいた。
ところが、結局VALUの値段が上がったのは、自分のVALUを管理していた人だけ。
VALUで言う管理とは発信と値上げ。
正直、優待と呼べる優待はつけてなくて、時々、VALU保有者向けに裏でこっそりつぶやいたり、ブログに書ききれなかった小ネタをつぶやいたりする程度。
僕にお金ができてきたり、VALUの保有者が100人とかそのぐらいになってきたら保有者飲み会も考えるけど…現状は特にないかな…。
と言うのも、もともと僕のVALUは1VALU150円だった。
だけど、少しづつ値上げしながらVALUを巻き続けた結果、今は1000円ぐらいになった。
VALUはビットコイン換算なので、ビットコインの高騰が後押しして、ビットコインの額面上は4~5倍だけど、円換算だと6~7倍。
150円の時に「今は優待いらないかな」と思っていた。
でも、今は1000円。
そろそろ優待の1つも考えたほうがいい時期だが、今度は投機目的の人が売り始めているため、「本当に僕の優待を楽しみにしている人が集まるまで待ったほうがいいのかな?」とちょっと悩み中。
値段をつけるのは本当に難しい。
僕のメルマガみたいにあんまり値段が低いとお金をもらっていてもやる気が起きず、
僕のVALUみたいに値上がりしすぎてしまうと価値をどうやって補填すればいいか考える羽目になって、値段が頭打ちしてしまう。
結果的に僕が一番成功していると思うものは青二才ワンマンショー及びブログレッスンなのだが…これは…値段を僕がつけてるようでつけてないのよね…。
一番成功している値付けは、なんと「お気持ち」である!
青二才ワンマンショー及びブログレッスンとは要するに会って面白い話をしたり、ブログを教えたりするサービスである。
ただ、料金体系がユニークで「ご飯をおごってもらうこと」と「もし金のかかる遊びに僕を誘うならそのお金も出すこと」の2つで、僕は現金を要求しない。
基準も兼ねて「昼夜どちらかなら2000円~3000円分ぐらい、丸一日なら昼夜両方おごって」と書いてるが…実際のところ、2000円以下の人もいれば、丸一日浴びるようにご飯をおごってくれた人もいる。
「お気持ち」という値段付けがかなり成功しているのか、自分で1から値段をつけて請求すると絶対に渋い顔をされるであろう金額を気前よく払っていただいていることがしばしばある。
「お気持ち」という値付けが適切に人を選別しているのが大きいと僕は考えてる。
言い換えると「お気持ち」でお金を払えるほど度量が広い人か、
僕に与えたいもの…つまり「お気持ち」が定まっている人が、
うまく人を選別していることが大きいと考えてる。
インターネットやどこでも提供されているサービスだと、どうしても「相場」という概念が強くなる。
「相場」というルールで有利に立てる人はいいのだが、僕はあまりこのルールが得意ではない。
ところが、限りなく唯一無二のことをやってしまうと、「相場」よりも「自分が出したいかどうか」になるため、僕にとって有利な人だけが来て、楽しんで帰ってもらえる。
唯一無二ゆえに怪しく見られるし、客観的な価値を求めている人には向いてないのだが…「主観的に相手が楽しいと感じられることを提案できたら勝ち」というゲームのほうが僕には向いていた。
諸々おごってもらってるだけだから、厳密には「稼ぎ」にはなってないんだけど…ただ、貧乏な僕が美味しいものにありつける機会が増えたのは、生活する上で心と胃袋にすごくいい!
そういう機会を与えてくれた方々にすごく助けられているし、もっと誰かを楽しませることで自分も助かりたいからもっと面白いことを話すための勉強や発信を欠かさなくなっている。
それはとても好循環なので、これからも頑張っていきたい。
まとめ:お金を稼ぐ技術の正体
「お金を稼ぐ技術」とは値段をつけて、やったことを発信をしつつ、多くの人の目に触れることで見つかる改良点を改善して、より高い値段がつくように対応していくことである!!
だから、知識や実力があっても、次のような人はお金儲けは向いてない。
・値段をつけない人
・値段を上げない人
・値段に見合ったレベルアップができない人
・自分のやったことを発信しない人
・発信がヘタで多くの人の目に触れられない人
・仕事が振られる場所にいない人
・日々改良し続けない人
・変わってはいけないところが見つけられない人
・めんどくさいを理由に発信、値付け、改良をしない人
・お金が絡む場所で、周囲の期待に答え続けられない人
これらは本業の実力とあんまり関係ない。
確かに営業マンだったら、これらができないと致命的だよ?
でも、職人肌な仕事の場合はむしろこういうのを卑しいと思ってる人さえいるし、下手すると卑しいと思ってる人のほうが声が大きい世界もある。
だから、お金と実力はあんまり関係ないのだ。
いや、関係あるのは営業マンや営業要素のある仕事だけであって、実力だけを評価してほしかったら、営業要素がいらない仕事につくか、営業要素を全部やってくれるパートナーを見つけるしかない。
だから、お金を儲けたとか、講演料がいくらだとか自慢している人は、それは
「営業力があるか、強力なパートナーがいらっしゃるんですね」
って話でしかない。
それで、実力があるとか、いい影響を及ぼしているとか、思い上がっている常見陽平さんは「そんなこともわかんないまま40年も生きてきたから、あなたはゴミクズライターなんです」って僕はブチ切れて、執拗に彼を煽ったんです。
バトルの様子:三沢文也さんと常見陽平さんのバトル – Togetterまとめ
アラフォーのおじさんにこんなこと説明しないといけないの、本当に苦痛だよ。
こんなの、ベンチャー界隈の子なら大学在学中に気づいてる。気づかなきゃ生き残れないはずなのに、リクルート出身のおっさんがこんなことも知らないのかよ…。
ちょっと自分で、自分がやってるサービスについて試行錯誤したらわかることなのに、こんなのもわかんないやつがベンチャー精神のあると言われるリクルートかよ…。
こんな皮肉を言いたくなる事自体がリクルートの宣伝発信のたまものであり、むしろリクルートなんてその発信力だけのハリボテで実力なんてないってことの証明になってるようでしょうがないわ…。
こんな本、読まなくていいよ。
常見陽平さんの稼いだ自慢と、無知っぷりをみたら「リクルートなんてそんなもんか」って思えるから、この人が幻想っぷりを指摘しなくても、リクルートの出身者のサイコっぷりに一度でもきちっと触れたらみんな知ってるから。
むしろ、幻想が幻想として機能してると思ってこんな本出しちゃったところが間抜けで笑っちゃうよ。
稼ぐ技術しかないハリボテ企業と、その端くれみたいなやつが何いってんの?ってしかみんな思ってないのに、こんな本ドヤ顔で出すセンスがそもそもわかんねー。