子どもの喧嘩です…子どもの喧嘩でいい年こいた大人が絶縁しました

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きっかけは金の話だったか、段取りの話だったか…。
「僕が流石にどうにかしろ」って話をしてから関係が悪くなった。

そもそも、僕は金の貸し借りはしない。

いくら私的にまともな関係であっても、金を貸した・借りたで揉めると、その借りている期間に厳しいことを言わないといけなくなるから、自分の嫌なところがでるため…しないようにしてる。(逆に、言われるのも嫌だし)

金を返したら縁切りするとか言われて…実際された

ただ…彼は僕に「仕事」を頼んでおきながら、その仕事を頼んだ事自体を忘れたため、「仕事だというから遠出もして、準備もある程度してきたのに」という話になって…不本意ながら、彼に借金をさせた。

融通が利かないと思われる人もいるかもしれない。

だが、仕事としてギャラを出すと言っていろんなことを言った人が、いざ現場でギャラを出さない時には地の果てまで追いかけてでも取らないと悪しき前例ができる。

「この人との約束は守らないと、酷い目に遭うな」

と。

こちとらどこかに属しているわけじゃないんだから、舐められたら終わりなんだよ…

タダでやってることはタダで楽しんでもらったらいい。
でも、お金を出す・出してサービスを受けたいってことで出されなかったら、他のお客さんに示しがつかないから、知り合いだろうが親だろうがいただくものはいただく!

生真面目でも融通が利かないのでもなく、商売柄やらないといけないことなのだから、しょうがない。

100円200円でできること、1分2分でできることだったら次に取り掛かった方が早いけど…普段、そのために1日なり半日なりつかって丁寧にやってるサービスを当日ドタキャンみたいな形で踏み倒されるようなことは、僕には我慢ならなかった。

…その真剣味で彼に接している時期がしばらく続いた。

僕の中では踏み倒されてるのに、返す返さないを面白がって話している時点で、この話は穏やかじゃない。

だが、本当に面白がった結果として、数カ月伸ばされた挙句、その最後の方には「金返したら縁を切ろうかな」と冗談めいたことをほのめかした。

流石に「バカかこいつ」って思ってたけど、困ったことに僕が認める賢いやつだったから、いつものようにヘラヘラと機嫌を取りながら「まままぁ、お金のある時にきちっと返してくださいね」
と念押しする程度に留めていた。

ところが、この男は金を返してから数日後、ささいな揉め事をきっかけに縁を切られた。

無駄に理屈の多い子どもの喧嘩の一部始終を御覧ください

揉め事というのもしょーもない、こんなにくだらない話だ。

まず、僕が「東浩紀の発言を色々漁ってみるとやっぱりブレてるか、表面上矛盾しているから真に受けないほうがいいよね」という、多分東浩紀のTwitterや著書の細部の矛盾や方針転換を知っていたら殆どの人が納得してくれそうな趣旨のことを懐疑的に言ってただけ。

で、そのことに対して東浩紀信者の彼がブチ切れして、色々言ってきた。

僕からしてみると、
「信者が勝手に持ち上げてはしゃいでいるところ、盲目になって一般的なサービスから逸脱している点がラーメン二郎とそう変わらない」「ラーメン二郎も東浩紀も、1000円で買える本、ごはんは他にあるのだから、あんなにローカルルールを課されるぐらいだったら、家で作るか、別のところで食べるかした方がいいように感じる。そういうしんどさがある」
と申し上げたら
「だったら、同じもの作ってみろ!」
と、キレられた。

本当にバカバカしいから言わせてもらうけど、ラーメン二郎をバカにして「だったら作ってみろ」なんて言われたことはない。
僕だって好きな本あるけど、それにたいして「同じようにマンガ・本買うなら別の本が良いか、自分でそのことについて考える」って言われたら「じゃあどういうの買うの?」という体の悪口は言うだろう?

でも、「椎名林檎と同じ音楽を作ってみろ」とか、
「岩田規久男並のクオリティの経済書を作れや!」とか、
「手打ちそばたかに出てくるかけそばよりうまいもん700円で出せ」とか

は絶対言わない。
いや、言うやつ見たことないし、言ったところでサイコパス確定だろう。

でも、東浩紀の信者はそういうことを平気で言う。
ってことが今回わかった。

教祖もガキなら信者もガキやなぁ…と。

おまけに教祖みたいに学者になるだけの我慢と才能があったら良かったけど、信者には彼も含めて、多くの人がそれすらないのに東浩紀気取り。

貨幣の話に戻すね。

貨幣価値上、他の本と変わらないか、他の本を買ってもいいという「経済上の原理」でモノを言ったら「だったら作ってみろ」と怒られる。

ちなみに「原理」という言い方をしたが、これは彼がよく用いる論法の1つで

「原理的に、どんなやり取りも人間同士ならコミュニケーションの問題」
「原理的に、人間が決めたものはどれだけ客観性や配慮しようが趣味」

と言った形を僕なりに応用した言い方をしてる。

東浩紀がどれだけ素晴らしいかろうが、別に東浩紀の本が特別高いわけじゃないし、同じぐらいの価格の本で別方向でも感動できるものはある。

だから「貨幣価値と効用の大きさだけを考えたら、代替可能」なんだよ。
東浩紀の本でしか得られない脳の化学変化があるならそれを立証してからどうぞ。
アズ体験でも、アヘ体験でもなんでも好きな名前つけて売り出したらいいんじゃないでしょうか!

無論、現実にはそんなことはなく、簡単な東浩紀の解説書を買ったっていいし、東浩紀が元ネタにしてるもっと古い哲学者の本を買ったって、それは貨幣価値上は同じこと。
彼は僕に「自分の基準以外の人間がバカっぽく見えるような態度で接してる」とかなんとか言ってたけど、その言葉、そっくりそのままお返しします。

彼は経済学を軽視してるけど、経済原理だって、立派な原理だし、人間は貨幣や価値交換から逃れた時代は存在しません。
つまり、人間の歴史・あり方は貨幣的な価値基準を軽視しては通れないんです。

…話戻すね?

彼はこういう話を一切無視して
「じゃあ作ってみろ!」
とかキレられた。

この理不尽に僕も、相手がキレてるのを知りながら、(普段ならもうちょっと我慢するけど、お金の件とか、こちらが好きなものや学んでいることを散々コケにされた直前のやり取りから)魔が差して
「いや、東浩紀読んでないけど、言ってることと近いことにたどり着くことはちょくちょくあるよ」
みたいなことを言った。

いや、これだって、相手が言ってることへの引用なんです。
「あなたがブログで言ってたこと、考えてるそのネタ、哲学の本でも言ってたよ。」
みたいなことを言ってたから、僕はそのように返しただけ。

原理的にもそうだよね。
…人間の考えなんて、そんなに多くの選択肢があるわけじゃないから全部一致しなくても部分的に一致するのは…当然っちゃ当然。

売り言葉に買い言葉の子どもみたいなやり取りを腹が立ったからしたわけだが…すると彼は縁を切るだなんだと騒ぎ始めた。
いつもなら、「俺悪くないでしょ」と思う気持ち以外にも申し訳なさや土下座してでも引き留めようとする気持ちも湧いてくる。

だが、今回についてはそれさえ湧かず「もう勝手にしてください」って感じになってた。…僕なりに疲れてたんだと思う。

いや、ある時期までは僕が立ち直ることに協力してくれた人だから感謝はしてるよ…。

でも、彼に女ができて、お金を踏み倒されそうになった辺りの時期からは…僕が耐えてる部分が大きかったから「やっと終わったか」「一度ぶっ壊れたことで、仮に復帰してもそれまでの煩わしさから解放される」ってのがあって、疎遠になったいらだちを暴露したい反面で、肩の荷が下りてホッとしてる。

誰かの友達をすることや喋ることに「荷が重い」って表現するのは、本来の意味では適切じゃないと思うが…本当にそう感じてたからしょうがない。

彼に礼や社会の決まりは通用せず、言ってることも言葉尻そのまま受け取っても相手の都合や趣味に合わないと受け入れられない。

具体例が最近ハマったQMAなのだが、僕がQMAにハマって楽しそうにしてることを彼は何周も前から見てるはずなのに、僕には「楽しそうなやつが好き」という発言をその日の昼にしてる。

いや、楽しそうにしてるし、楽しいことはしょっちゅう言ってた。

キミにカネを返してもらう前までは8月半ばから色んな人との交流や交流から来る余韻、新しい趣味の発掘に成功して俺の人生は割りと楽しかった。
それがキミの趣味に合わなくて、批判や議論の対象になったり、乗り気じゃない雑な対応をされたりしたんだよ?
その事自体を拾い上げてくれない時点で僕って舐めらているんだろうし、僕がいいと思ったものって認めてもらえないんだろう。
そういう人間を相手に我慢をしたり、機嫌を取ったりすることに、少なくとも僕は限界を感じてたし、彼も彼なりになんかあったんでしょ。

彼だけが悪いとは言わないよ。
ただ、僕のちからではどうにもならないし、僕は僕が考えうる最善を尽くした結果がこれだからもうどうにもならないし、勝手にしてくれってしか思えない。

賢い人間と接してきてわかったのは賢いだけじゃダメってこと

頭がいい人の最後が子どもの喧嘩みたいな幕切れってところに
「頭いいにはいいけど、所詮は頭でっかちのガキでした」
「女ができたら、調子に乗るどこにでもいる男でした」
って思いっきり落胆している。あまりにもダサすぎてね。

精巣と好き嫌いが知性の限界…または、そういうところに対して恥ずかしさも持たないクソ野郎であることに、自分が自覚した上で否定もしない…その事自体に僕の中で「あーあ」ってなったわけです。

僕はスポーツやってた人間で、未だにプロ野球が好きでチェックするから
「一流の選手が生活管理、食事管理、ファンサービスでも一流をめざしているのをいると尊敬してしまう」
というのがあるんです。

だから、人格的や態度に問題がある東浩紀が好きな種類の人とは相容れないんだよ。

それを賢い人だから許していこうとかなんか意味があるとか色々言われたところで

「それって、個性的な発言でマスコミを騒がせる野球選手(新庄剛志や石井一久など)や、インターネットの主たる事業やあり方がその人の方に乗っかってる西村博之や、堀江貴文みたいなものとはまたぜんぜん違うよね?」
って言いたくなるわけです。

彼の言い方をすれば、それは「(どんな人間の考えたことも絶対的な基準じゃないから)趣味の問題」なのですが、彼と趣味が合わないことを僕は(懐疑しつつも)受け入れようとして、彼は僕に批判してきたから…所詮はガキだったんだなぁ…と。

僕は彼のそういうところを見て言ったんですよ。

「僕は自分の母親みたいに自分の矛盾をなんとも思ってない人、頭ごなしな人、気まぐれに発言する(ことに対して、自分なりに整合性や一貫性を持とうとしない、聞こえ方を配慮しない)人は信用できない」
って。すると、彼は
「バカが悪いのであって、そういう人の存在は否定できないし、むしろ人間なんて矛盾して気まぐれなもの」
って。

賢い人が言うのだからそうなのだろうと思ったけど…ねぇ…。
散々賢いことや、もっとこうしたらいいという成し遂げるのが難しいアドバイスを色々してくれたけど、所詮はそれが自分でできるわけじゃなく、いうなれば理想論だよね。

僕ができるとかできないとか、やるべきとかべきじゃないとか…なんか、より頭のいい人の言うことだから僕の知らない何かがあるんだろうと思ってやってたけど、所詮はベキ論でしかないんだよ。

本人は「一時的に」「ほとぼりが冷めるまで」みたいなことを言ってたけど…僕としては「あーここが今生の別れか」みたいな気持ち。

もちろん、そうじゃない可能性もあるし、その事自体が寂しくないわけじゃないんだけども…こんな暴露記事を書いているのは、少なくとも「俺の中で頼りにしてた彼は死んだんだなぁ」って1つの終わりを見たから、それは形にしとこうと思った。

いや、続きがあったとしても、僕はもっと脱力していくよ?
かつては、ある種の天啓というか…天啓まで言わないにしても「自分にはわからないこと、理解できないことがそこにはきっとあるんだ」と広い心で聞くようにしてた。

でも今は、矛盾の多い人間のガキンチョの言うことだからめざましテレビの今日の占いぐらいの気分でしか聞かないことにするよ。
気持ちいいことは「納得!」といいつつ、自分の感触で気持ち悪いことに対しては「そういうこと言う人もいるよね」って。

それでもいいならお付き合いください。

僕は言葉を重く受け取ろうと努力しましたが、軽く受け取ってるぐらいじゃないとやってられないことに気づいたから、今後お付き合いするなら、あなたの言葉はあなた自信もできないぐらいの高尚な理想か、妄想だと思って聞かせていただきます。

理想や妄想を語る漫談家として、あなたはそれなりに面白いので、気が向いたら声をかけてください。僕で良かったら聞きますので。

自分勝手になったことを賢くなったと錯覚したい人はどうぞお読みください。

僕はおすすめしないし、ラーメン二郎に並ぶ日本三大ローカルルールの多い民間信仰だと思ってますけどね。(ちなみに、あと1つは夏の甲子園)

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 「芥川賞を山ほど読んでも、想像力がない母」を持つ俺に言わせれば、文学で読解力がつくと言ってる奴はバカ!
僕が矛盾の多い人間と過ごしていて、限界を感じた20年ぐらいのお話

僕が「こういう人とは付き合えない」という限界点を書かせて下さい><
僕が矛盾が多い人よりもさらに無理なのが酒乱。または酒乱を装って横暴を働く人

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