ADHD用の薬を試してみたら、世界の見え方がガラリと変わった話

デリケートな話だから、最初に注意書きをさせてください。

注意
1,あくまでも個人の感想及び体験談です。個人差があり、みんな同じ結果になるとは限りません。
2,私自身、医師と相談の上で導入した薬です。メンタルヘルスに関わる薬は、医者や自身の体調と相談しながら処方してください。
3、今から話すことは「医学的に正しいこと」というよりは「ADHDの患者(私)」から見た世界の見え方と、その変化の話です。あくまでも『体験談の1つ』として聞いてください。

 

どこに出しても恥ずかしくないほどの「ADHD」だった私が、薬をもらうまで。

ADHD(注意欠如・多動症障害)という発達障害の症状があります。
注意散漫だったり、ケアレスミスが多かったり、時間や約束にルーズだったり…世間一般に「だらしない」と言われるような症状があるそうです。

そして、それらは本人の努力でも直しきれない「障害」になってる人が3〜7%ぐらいいるそうです。

最近では
「幼いうちから対策することで、自覚を持ったり、障害の弊害を減らすように医療・教育の現場でもがんばっていこう」

という風潮が生まれて来ています。

しかし、今大人になってる人のほとんどは、病気だと知らないまま大人になってしまいます。

ADHDだったとしても、
・理解者に恵まれてフォローしてもらえる
・ミスしても取り返せる/弱点より長所を評価してもらえる仕事に就く
という場合は問題ないのです。

それこそ、スポーツ選手とか、役者などのエンターテイナーだと、ミスをしても試合や舞台の中で、ミスを補って余りあるファインプレーを見せることで帳消しにすることができます。
だから、ADHDを告白してる人や、本人は自覚がないけど、発達障害みたいなズボラな一面を持ってる人もたくさんいます

 

あるいは、クリエイター・研究者・経営者など「自分の世界観を突き詰める人」であれば、全てを無難にこなす能力よりも、逆に突き抜けた才能やアイデアの方が大事。
さらに、軌道に乗ってからは、ミスが許されないことを他人にアウトソーシング、他人と相互チェックしやすい環境を作ることで、強みだけを活かす働き方だって、夢ではありません。

 

だから「ミスをするから、無能」「ミスが多いから、生きていけない」というわけでもないです。
3〜7%しかいない変わった人達だからこそ、できること・才能として評価されるパターンも有るのです

 

しかし、私のようにADHDには向いてない仕事について病んでしまう人も多いです。
いや、本格的に精神を病む前から「同じ人物とは思えないほど優れた部分と、ダメな部分を抱える状態に生きづらさを感じて悩み続ける」という時期を長く経験している人も多いでしょう。

 

そこでうつなどの色んな精神疾患を患うのですが…発達障害がマイナーで、精神疾患への偏見が強い時期には早期に治療するどころか、病院に行くのもはばかられ、(実際問題、私の母は「精神科へ行け」と差別的に罵るような人でしたので)身内でも病院に連れて行くのを嫌がるパターンも多くありました。

 

かくいう私も、躁うつ病を患い、しばらく抗うつ剤を飲んでいました。
しかし、コロナ禍で、通院に間隔が空いてしまって抗うつ剤が切れた時に、気づきました。

 

「(今は)うつによる症状というよりも、発達障害から来る注意力散漫の方がしんどいかもしれない。」
医師とのカウンセリングでそんな話をすると、医師が「ADHDの薬を試すかい?」という提案をしてもらいました。

ADHDを薬で抑えて、初めて「普通の状態」がよくわかった!

私がADHDの薬を服用して驚いたのは
「静かだ」
ということです。

 

感覚的には、同じ部屋にいるのにも関わらずぜんぜん違うのです。具体的には
「湿度が低く過ごしやすく感じる」
「『静止した状態』を無意識にできるようになる。」
「物音に敏感だったり、耳障りなノイズが消えて静かで落ち着く環境に感じる」
ような感じが第一印象です。

 

イメージで言うと、ADHDの人は2トン以上のトラックで、普通の人は軽自動車とでも言えばいいでしょうか?

 

大きめなトラックって…普通に運転しようとすると、急発進するし、思ったほどブレーキが効かないし、前は広いけど側面・後方はよく確認しないとぶつけそうになることから、独特の運転方法を理解してない大変なんです。

 

逆に、軽自動車は小回りが利く上に省エネ構造なんです。運転しやすいし、わずかな確認で全部見えるからものすごく楽なんです。

 

普通の人が相手も普通であることを前提に、仕事や方法を指示してるのに、自分だけが小回りの効かない2トン車みたいな頭でやってたら…そりゃ、無理が生じますわ…。

 

ADHDの人が「普通」がわかることがどれだけ大きいことか…

私の場合、ADHDだけでも少数派なのに、左利きでもあるんです。

 

左利きも世の中の10%と言われるわけですが…これも、スポーツ以外では何の役にも立たない。
人類が使う道具は基本的に右利き用に作られてますから、駅の改札を通るだけでも不便だし、漢字の書き順も僕から見て不便だったりします。

 

でも、左利きはまだ自覚できるから『右利きの人に言ってること、右利き用の道具を自分で使いやすく再理解する必要がある』ということをわかってるんです。
また、左利きであることは、見えればわかります。

 

左利きであることを周りが配慮しようとしてくれたり、多少不格好なやり方でも許容してくれるところはあるんです。

 

ところが…ADHDだと、本人も「普通」がわからないのです。
何がどのぐらい「普通」と違うかも、「周りの意見でなんとなく」しかわからないんです。

また、普通の人は発達障害とか気にしたこともない人も多いですから、配慮や理解のしようもないケースも多いのです。たとえ、差別的な意見であっても、見えない障害ですから…反論のしようもないのですよね…。

 

だから、左利きの弊害は乗り切れても、ADHDの弊害は一人で抱え込んでいました
また、答えを見つけようにも、自分の力だけではわかるはずのない「普通」を持ち出されるのですから、どうにもなりませんでした。

そういう意味で、ADHD用の薬が飲めたのは、すごくいい体験でした。

 

薬を飲んで戸惑ったこともある。それは「疲れやすくなった」こと。

ADHDの中には「過集中」と呼ばれる寝食も忘れて没頭してしまう状態に入れる人がいます。
私も(薬を服用してない時は)その一人。しかし、薬を飲む前は「普通」がわからないため、そもそもどこからが「過集中」なのかが、わからなかったのです。

 

ただし…火がつくまでが遅い上に、火がついたら止まらないので、メチャクチャ疲れます。

 

「ADHDは2トン車としたら、健常者は軽自動車」
と前述したのは、その馬力の強さや積載量、ブレーキの効かなさ、さらには加速時の反動の強さが、ADHDの過集中に関することとよく似てたからでもあります。

 

過集中の集中力・過集中の反動・通常時の小回りの効かなさが当たり前だった僕にとっては、薬を飲んだことで「落ち着き」を手にしたと同時に、「過集中を前提としたペース配分」の見直しも迫られました。

 

というのも…薬を飲んでると、『過集中が、行き過ぎる前に体が疲れる』んです。
だから、薬を飲んでからしばらくは「いつもよりがんばりが効かない」ことで、「健康な生活はできてるけど、不完全燃焼な気分」になると思います

 

…事実、今の私がそうです。
この変化がかなり面白いことで、色んな変化を及ぼしてますね…。

がんばれない?いや、がんばり過ぎだったんじゃないの??

確かに、いつものように過集中になれず、思ったほどがんばれないことに焦りを感じます。

しかし、手に入れた「落ち着き」という武器はすごく強いです。

 

まず、「通常時」に疲れないのです。
感覚が過敏だったり、いつもノイズがする状態、過集中やゲームをしていないとノイズが消えない状態は生活する上でものすごく不便です。

つまり、「静と動」がはっきりしたんです。
何もしてない時はいつもより楽で、なにかに没頭して作業してても、限界突破しないでちゃんと疲れる。
この状態は疲れを蓄積しないからいいんです。

 

次に、「感情や過集中に流されすぎないこと」はトータルでは絶対に強いです。
過集中で限界までがんばると、がんばった分だけ「動けないほどの疲れ」が来ますが…それがなくなると、毎日のスケジュールが作りやすいのです。
すぐに疲れるということは、ブレーキが効くということ!
動けないほど疲れる前に、適切な睡眠や、体の疲れてくれるほうが健康で規則的な生活がしやすいのです。

 

これは2つの恩恵をもたらします。

その激情、ADHDのせいかもしれませんよ?

1つ目はアンガーマネジメントです。
「感情が湧き上がってきても、どこかで落ち着いてる自分」を獲得すると、無駄な喧嘩をしないで済むのです。

 

この記事を書くきっかけも、「いつもの自分が、合理性や理性を捨てて怒っていたことを我慢できたから」です。

 

その後、別件で「キレるのを通り越して呆れる」事態が起きたので薬を飲んだからストレスフリーになるかと言われたらそれも違いますよ?…でも、変化は大きかったですね。

 

まず、怒りを我慢できたできた時ですが、この時には
怒っていても、頭の中に冷静な部分が残っていて、【損得勘定】を忘れないでクレバーに振る舞える
という体験をしました。

 

「過集中」の負の側面として、
『ネガティブなことが気になってしまうと、そのことで頭がいっぱいになりやすい』
というのもあるのかもしれません。

 

怒ってる人のほとんどは【怒ってもいいことがない】ことぐらいわかってるはずです…多分。

 

それでも、異常なぐらいに怒る人がいるのは、【怒ってる時は冷静な判断が吹き飛ぶ】状態になるからです。

ストレス・思考法・過去の経験・特定の話題・他人への期待…我を忘れるほど怒る理由はいっぱいあります。
その1つに【怒ることに集中しすぎてしまう】というのが、あるようにADHDの薬を飲んで、感じました。

 

怒ることに集中し過ぎちゃいけないんです。どこかで【怒っても損だな】【そんなことしてる場合じゃないな】【所詮は数多くの人間の一人だし】みたいな白けたことを考えてる自分、正しさに取り憑かれてない自分がアンガーマネジメントには必要です。(つまり、過去の自分はキレることに集中しすぎてたわけですね…)

そして、ADHDの厄介さに気づいたのはこの後です。
(ADHDの薬を飲んだ後に)ブチ切れたら…疲れたんです。

いつもみたいに「精神的に動けなくなるほど憔悴した」感じのひどい疲れ方になる前に
「肩がガチガチで、何もできなくなるほど体が疲れたから、怒り続けることができなくなった」
になってしまったのです。

ADHDの薬を飲んで初めて、
「怒るというのは、こんなに疲れることなのか…」
と学びました。

逆に言うと、普段のADHD丸出しのぼくは、キレることに集中してると肩や首の力がガチガチに入って体が動かなくなっても気づかず、ストレスで寝込んだり、息切れや動機がするほど思いつめていたのですね…。
しかも、他のことでも等しく過集中して疲れるから「怒ることは(他のことよりも特別)疲れること」という意識さえなかったのだから…その辺の意識が大きく変わるきっかけににもなりました。

限界まで心と体を酷使しないと…健康な生活がしやすくなる(はず)

1週間ぐらい試して気づいたことですが…明らかに暴飲暴食が減りました。

「薬の副作用」
ではありません。

生活習慣が変わったことで、食生活が変わりました。

ある同人誌に使われてたこの図がわかりやすいですね。
『人間の心と体は深い傷を負うほど回復に時間がかかる』のです。

 

これは、外傷もストレスも病気も全部です。
だから、病気は早期発見して対処しますよね?
大怪我もひどくなる前に応急処置や、緊急搬送の後、長期療養しますよね?

 

ストレスも早めの対応が大事です。
色々な対処法があるのですが…ADHDの薬を飲む理由としては、
『限界まで心と体をいじめない』
『限界が来る前に、頭や体にブレーキをかけてちゃんと休養する』
という、早めの対応をする基準を持つことができるから大事なのです

 

早めの対応ができると…体を回復させるために、大量の食事を取る必要がなくなります。
無茶な徹夜に突入する前に、『今日はがんばったんだから、一度寝ようぜ』と体の方がブレーキをかけます。

 

そして、暴飲暴食というのは「習慣」が占める割合が大きいです。
「頭で計算する満腹量」と、「たくさん食べる胃袋」は普段の食生活が影響するからです。

 

心と体を限界まで酷使してから食事すれば、当然「限界まで食べなきゃ」という日が続きます。
毎日限界まで空腹になって、極限状態で食事することが習慣になれば、胃が膨張して大食漢になります。
実際問題、私も無理が一週間以上続くと、二郎系ラーメンの大盛りでも頼まないと満腹にならない体になることがしばしばあります。…「そんなにいらない」と頭でわかってても、胃袋が戦闘モードだから食べないと満足できない体になってしまうことがあるんです。(こうなると、当然疲れてない時の食事も多くなってしまいます)

 

だから、体の方で「限界に到達する前に疲れる」と当然、食事も少なく済むし、こまめな食事が暴飲暴食を避けることができます。…現に今の私は、二郎系どころか普通のお弁当でもかなり満足できます

 

人間の体は「適度に疲れる」方が良いんです。
サイボーグみたいな「疲れない体」は本物のサイボーグでもない限り、逆に危ないんです。

 

過集中は腹が減る!
疲れやすくなると、程々の食事量に抑えられる。

すごく嬉しい副産物でしたね!

ごちゃごちゃ頭をパッと見で解決する本

 

途中でグラフを引用にした本はこちら。「無理しすぎないセルフコントール」を心がけたい人は是非どうぞ。

 

もやもや頭がパッと見でスッキリする本

 

続編も出てます!
この方には実際に会ったことあるんですが…独自の世界観を持ってる飄々とした面白いであると同時に、いい感じに脱力した方なので、こういう本を出すことに「あーこの人なら納得」という変な説得力を感じましたね。

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