エゴサーチしないだけでネットは過ごしやすくなると言ったら何回わかるんだ!!

 

北条かやさんが色々言ってた。

「評価経済社会」の中で、勝ち組になりたかった

 ネットで人とつながるのは気持ちがいい。私はそういう「つながりの快楽」にどっぷり浸っている1人だった。

 自分の記事やツイートへの反応が気になり、テレビに出るようになってからは視聴者の反応が気になり、エゴサーチがやめられなくなった。褒められれば嬉しかったし、けなされれば「汚名返上したい」と思った。

ネットにいる「無数の他人」を相手に、好かれようと必死だったのだ。「評価経済社会」の中で、勝ち組になりたかった。

インターネットで死ぬということ 1度の炎上で折れた心 北条かや – withnews(ウィズニュース)

わかってないから言わせてもらいたい。

まず、不特定多数の人にチヤホヤされたいって思ったらそれはその数と同じだけの人間に妬まれたり、恨まれたりするってことだ。

次に、誰に好かれたいかをはっきりしないと、ネットでは書いてるものがドンドンおかしくなる。

何を書いても批判をするタイプの人に合わせたって、そいつはあなたをほめてくれないし、波風立てないことに固執しても「言いたいこと言えないもこんな世の中」の世知辛さしか感じない。

エゴサーチしても、いい・悪いの基準自体がぶっ壊れてるからダメなんだよ。

ぶっ壊れた基準に合わせたところで自分もぶっ壊れてしまうから合わせたのよねぇ…。

  • インターネットでメンタルを病まない5つのコツ
    • 「言葉の正しさ」に加え「信用できる相手」かどうかを信用の基準にする
    •  自分がネットを通じてしたいことを明確にしておく
    • 違うことを認め合えない人・利害や痛みが共有できない人とは関わらない
    • 批判されてもそんなに重く受け入れない 
    • 同じような批判コメントを何人もの人がしてたら「コイツバカだな−」でいい

 

インターネットでメンタルを病まない5つのコツ

大前提として踏まえないといけないことはさっきも書いた通り「エゴサーチをしても、ネットに書き込んでいるヤツ自体がおかしいから、精神や自分の持っている基準が歪んでしまう」ということね。

そうならないために、何をしたら良いかをきちっと書いてみたい。

「言葉の正しさ」に加え「信用できる相手」かどうかを信用の基準にする

ネット上でほめてくれる相手も、貶してくる相手も、本当に信用できる相手かどうかでその人の発言をどう受け取るかを決めるべき。

・趣味が合って

・一緒に遊んだことがあって

・何度もレスをしてくれる人で

のような基準をキチッと設けておく。

知り合いのコメントや、普段会う人のコメント、本音で話しあえたり好きなものが一致する人のコメントは優先度を上げる。

そうだなぁ…。僕の場合

1、リアルなオタク友達(趣味が同じ人)でかつブログ読者・ツイッターのフォロワー

2、何度も会ったことがある上でなおかつ大人に話ができるブログ運営者や運営を応援してくれる人

3、特に会ったことはなくても、打ち合わせしてなくても同じ方に共同歩調を取れるブロガーさん、オタクなツイッターのフォロワー

などの発言を優先して尊重してる。

彼らから「嫌われること」はやっちゃダメだけど、「意見の違うこと」はやってもいい(意見の違いがあってもお互いに尊重できない間柄である場合、交友を続けない)

ネットのコメントに好かれるかどうかよりも、僕が発言を尊重したいと考えてる数十人の人間がどう思うかを優先して考える。

そうすると「大きく外れること」は減る。

 自分がネットを通じてしたいことを明確にしておく

ふわふわと活動するから評価が気になってしまうというのはあると思う。

評価を気にするのは悪くないけど、そのことで病んでしまうんだったらあらかじめ「ここでは評価されたい」という目標を作っておく。

例えば、自分が評価されたいもので評価されないと悔しい。

でも、どうでもいいと思ってるものが評価されなくても「ですよね」の一言で終わる。

それを自分なりに基準を作っていく。

そして、基準を作った上でより発言に信用が置ける人からどう見られてるかを意識してしゃべる。

そうすると、そんなに「叶わない願望」を描くことは減るんじゃないかな?

趣味や自分を理解している人がいいと言ってくれるもの、話に参加してくれるものを安定して出せていれば、それは自分の趣味や行きたい方向とそんなにズレないからネットの評価で一喜一憂することは減るんじゃないかな?

違うことを認め合えない人・利害や痛みが共有できない人とは関わらない

インターネットでやり取りしてると、

「そこまでお前の言うとおりにする必要はねーよ」

「正しいけど、そんなにいっぺんに言われたってできない」

ところまで言ってくる人がいる。

自分を貫く上で邪魔な人は、その人が良かれと思って発言してても距離を置くようにした方がいい。

押し付けの善意は断りにくい、実行しづらいことから悪意よりも扱いづらいから押し付けに気づいていない人とは距離をおいたほうが良い。

…イエスマンばかり置くべきだとは思わないよ?

でも、相手の意見を選ぶ権利がこっちにない状態で聞かないといけない関係は切ったほうが良い。

特に

・特定の思想の(政治信条や宗教ではなく「幸せにならないといけない」とか「人間はかくあるべき」という)強迫観念が強い人

・自分のスキルに対してアレコレ提案やアドバイスをすることで、自分をツールとして使って創作をやろうとしてる人

の2つは要注意。

本人には悪気や自覚がなく、しつこい人が多いから「悪い人ではないけど」という申し訳なさは捨てて不愉快な人、被害だと感じることをする人なら切ったほうがいいかも。

…もっと言えば、理解者に限って黙って読んでくれている・こちらを信用して口うるさくしないことを知っていると精神的により安定した状態で創作や発言ができるのではなかろうか?

批判されてもそんなに重く受け入れない

エゴ・サーチしないのが一番健全だが、どうしても反応が気になってみてしまうこともあるからその時の対処法。

バッシングや批判が書いてあっても

「あーやっちゃったなー」

「この記事は書き方がよくなかったなー」

だけでいい。批判的なコメントのほうが多そうだったら読まない。特にそれがIDやアカウントで「批判的なことしか書かない人」が判別できる場合は

「この人達からブックマーク、ツイートされた時点で、この記事はダメだったんだな」

と諦めてしまう。

SNSなどで、炎上してリプライ・コメントを投げつけてくる人たちのせいで、エゴサしなくても通知蘭が酷いことになってしまう場合、その人達をブロック/ミュートすることを躊躇しない!!

特にうるさく通知蘭を埋めてコメントを埋めたり、議論を挑んできたり、頭ごなしに批判的なことを書いたり…嫌がらせとしか言えない迷惑行為を平気でやる人は「押し付けの善意を振りかざす人」か「人の痛みとか考えられないバカ」の可能性が高い(実際に傷つけられてる時点で、誠実に関わっていく気がない)から、人間扱いする必要すらない。

人権人権というけど、人間らしく扱ってほしかったらそれを態度と姿勢で示してくださいね^^

…ぐらいの気持ちでブロック/ミュートを多用していいと思います。

ネットで愚痴ると、別のアカウントでウォッチされてる危険があるので、声に出すか、意識的に争う価値もない(そもそも人間じゃない時点で存在レベルで自分の方が上)と思って、おもいっきり見下しながらブロックしていくことを推奨します。

…実際、そういう人は自分がクズだと言われたら、クズだと認めるし、開き直るし…。

同じような批判コメントを何人もの人がしてたら「コイツバカだな−」でいい

だって、バカでしょwww

人が送りつけてるものと同じものを送ったり、コメントして悦に浸ってる時点で

「他人と同じことしか言えない・思えない程度の思考力か、

同じことを思っていたとしても、ペーソスを効かせることができないセンスのない人」

なんだから、徹底的に馬鹿扱いしていいと思う。

炎上やリプライ等で、頼んでもないのに同じコメントで溢れている場合は「あーバカなんだなー」「バカと同じレベルのものをかいてしまったんだなー失敗失敗ლ(´ڡ`ლ)」でいいよ。

…なんだろう。

これ、就活とかお仕事とかでもそうだけど、企業にお祈りされた人達はついつい

「何がいけなかったんですか?」

「批判された気分ですごく辛いです」

とか言うんだけど…そこが間違ってるんだよ!!

「あー学歴と中学校レベルの計算の早さで人をわかった気になってる就活なんてバカだなー」

「面接で喧嘩売るような質問と、酷い態度で煽ってくるくせに、若者には礼節を求めちゃう面接官ってばかだなー」

「しかも、こんだけやっといて大企業だろうが、高学歴者だろうが不祥事で捕まるような人を採用しちゃうんだから、あいつらも間違ってるなー」

と思ってれば、腹が立つことの幾つかは我慢できることが結構あるんです。

実際問題、人間関係なんか正解のない話、正しいことだとしてもみんなが実行できるとは限らない話がとても多い。

そういう時に相手の事情とか、ポジショントークとか、バカバカしいほど形式的なことでハブられたりした時には「縁がなかった」という達観したニュアンスで納得出来ない時には「アイツバカだぜ」と言ってしまう方が、こころの健康にはいいように思う。

そういう考えしかできない人が

「女なんかみんなビッチだ!」

とか口に出したりしたら怒られるし、そいつこそむしろそういう考え方しかできない「セックス・マシーン」なわけだけどね。

でも、押しつぶされて病むぐらいなら合わない相手・合わせる気もない相手に「バカだなー」と思っちゃってもいいと思う。

実際問題、「合わない相手にどうしても合わせる必要がある」としたら、それは自分とは違う部分を考えないようにする…つまり、バカになることも必要なんだからね。

「バカ=悪い」というんじゃない。

「自分が見えてるものが見えてない(見えてたとしても、見えてないバカのように振る舞ってる)」ってだけ。

だから、ネットで嫌なことしてくる相手、こちらに合わせる気もなく傷つくことをしてくる相手には「こいつバカだな」でいいんですよ!!

世の中賢い人ばっかり、分別のある人ばっかりならそんなに不愉快にならないよ。

バカだなーと思う人が社会的な地位を持ってたりしないよ。

バカが社会の頭から足の先までいたるところにいるんだから「この社会の仕組みからしてバカとそうじゃない人をきちっと選別できてないバカなんだな」と思ってれば、もういいんです。

そう考えたらバカなんかそこら中にいるんだよ。

そこら中にいるバカにバカと思って、バカにつける薬がないからせめてこちらに寄ってこないようにブロック・ミュートして何が悪いんですか?

僕もバカだけど、もっとバカな人とは会話できないと思って何が悪いんですか!?

バカの壁を感じたらいいし、感じた時にシステム上の壁を出現させてバカ光線に当たらないようにして、なんか問題でもありますか!?バカに汚染される方がずっと問題じゃないんですか!?

…みんなの意見を聞こうとするよりも、自分にとってバカじゃない人、バカな押し売りをしてこない人に好かれるようにしたらいいんです!!!

バカを批判しても、相手がバカだからわかんないし、関わるのは時間の無駄!!

だから、バカとはかかわらず、バカ以外の人間との関わりでスケジュールを埋めていく。

それが賢い人間の振る舞いですよ!!

P.S

バカと言う言葉を何回使ったか数えると結構楽しいと思うから、暇な人は教えて。

ちなみに、バカのパートだけ抑揚をつけて音読するとすっごくスカッとするはずなので、声を出しても大丈夫な場所で音読してストレス解消に使ってもらえると嬉しいです。(本当に声に出しながら書いた)

そうです、世の中バカざんまいなんです!!

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