【君たちはどう生きるか:解説】眞人くんは3桁の女と寝れる才能ある

映画「君たちはどう生きるか」を

「わかんなかった」
とか
「つまんない」

とか色々言う人がいると思うけど…超ざっくり言うと、

「マタリティブルーと継母になった精神的負担が同時に来ちゃった新しいお母さんが、出て行っちゃった。それを息子が【連れ戻さないとお父さん悲しむし】というどこか他人事でお母さん探しに行った。他人事だったことで、お母さんがブチ切れた時にぼくは【おかあさん!】と思わず呼んだ。そしたら、継母がキューンとなって仲直りできた」

という…単純な話です。

そこに各種ディスコミュニケーションを詰め合わせて、しかも他のエンタメ作品には入っているような「説明や補助線となるセリフ」の一切を端折っていますからね。
だから、ディスコミュニケーションも登場人物の感情の変化も、アニメ・マンガ調ではなく、実際の「勝手知ったる人間同士がなんの説明もなく・話し合い不足や感情任せに怒ったり笑ったりする姿をありのままに描いちゃってる」作品だから…普段のアニメ・マンガとは全然違いすぎてわかんなかったと思います。

アニメ・マンガと言うよりむしろ、「他人の生活」をそのまま見てるぐらいの説明のなさです。
こんなの、実生活でのコミュニケーションに明るい人間か、1つ1つ丁寧に考察しながら作品を見てるオタクにしかわかりませんよ。

 

夏子おばさんをヒントなしで攻略できた眞人くんは、たぶん3桁の女と寝れる才能がある

じゃあ、まず夏子おばさんの話をしようか。

マタリティブルー/新婚うつ/再婚相手の子どもと打ち解けられなくてうつを合併してる夏子おばさんですが…これ、映画関係なく実生活でさえわかんない人は本当にわからないと思います。

これ、私自身が近い体験してるからわかるんですよ。

酷いですよ?私のオカン。

たまたま、太宰治の人間失格という本が近くにあったからって、実の子(妹)に
「お前なんか、人間失格だ」
って罵ったんですよ!?

他にも、俺が公務員の試験を受けてて、一部の試験に合格した後に、他のことで怒ってたことから
「お前なんか公務員になれるわけがない!」
とか平気で言ったんですよ!?

私、こういう家庭で育ってるから、
「感情的にブチ切れる女性」
って、好きとか嫌いとか以前の問題として、身の危険を感じてシャットアウトしちゃうくせがついたわけです。

だから…眞人くんが下の世界までお母さんを助けに行ったのに、会ったら酷いブチキレ方をされたのは…普通に考えるとものすごく理不尽なことだし、人によってはその時点で身の危険を感じるほど相手のことが嫌いになると思います。

 

でも、これよくよく話してみると、ケース・バイ・ケースで…なんなら
私がすごく怒っている/こういうことをして欲しい(ほしくない)ことをわかって欲しいから、私も禁句を言ったんだ
という話であることも結構あるんです。

いや、これツイフェミさんとネットの弱者男性との会話を見ていても
「法律として世の中を変えたい」のか、
「自分自身のトラウマ、辛さをわかって欲しい」という話なのか、
双方でコンセンサス(合意)が取れてない状態で、男と女のディスコミュニケーションをやり続けてるから、本当に話が噛み合ってないんです。

「だから女はダメなんだ」
みたいな話ではないのです。
私が母にされて嫌だったことを、気兼ねなくやっちゃう女性がネットにもけっこういるから…女性の方が多く感じちゃうわけです。

別に、女性に限ったことではなく、男だってそういう人はいますよ?
また、男だった場合も、ネットのおもちゃとして笑われてるケースがけっこうありますよ?男でも感情的で言葉が強烈過ぎる人っていますし。

でも、私の場合は強烈な体験が母だったせいで、「女性に多い傾向なのかな?」と思いました。
同時に、宮崎駿もそう思ったから夏子おばさんがそういう役回りになったんでしょうね…。

でも、男女関係なく癇癪持ちで【ブチ切れるとタブーに触れる人】は…普通の人から見て
「お前が、冷静な判断の上で、人間失格とか公務員なれるわけがないとか言ったんだよな?俺や俺の妹の今じゃなくて、存在自体を真っ向から否定したんだよな??だったら、もう無理じゃない!?
とマジで思ってしまう人がいるんです。

本人はその時の気分や熱意を伝えたくていったつもりでも、覚えてる人は一言一句覚えてたり、ニュアンスとして「この人はこう思ってるんだな」って覚えてる場合があるので、普通の人ならキレて言い過ぎることはリスキーだと考えちゃうんです。
夏子おばさんの場合、言いたいことが言えなくて吹き飛んだ部分もありますから両側面の意味でのコミュ障なんですけど…要するに【キレて暴れすぎてもダメ】だし、【キレられないのもダメ】なんですよ。

「怒らない=悟りを開いて、平穏な状態」とは限らないんです。
かといって、言うべきことをハッキリ言わないのも…本人がうつをこじらせたり、損したりするからダメなんですね。

それだけキレるまでのハードルが高い人だと、
「キレてタブーをいうほど拒絶する以上、それ相応の対応をするのが正しい。相手もちゃんと責任を持つことが法的に許されてる大人なんだから、発言も重く受け取るべきだ。」
とガチで考えてる人がけっこういると思います。

私もけっこうそうでした。
禁句を言った時点で「相手の議事録に残ってもいいとお考えなんだな」ぐらいに思っちゃうし、今もそう思ってる部分はあるからキレてもふてくされることはあるけど、ラインを超えたことは言わないようにはしてます。

…まぁ、そのラインや地雷なんて言われた本人が決めることなので、それも完全な安全策ではないんですけどね〜

でも、今の私は昔に比べると多少成長してて
「話し合える相手とはちゃんと話し合って真意を聞いてからでも遅くない」
気まぐれな発言をする人でも必ずしも無責任で頭ごなしで、自分と同じように【終わり】を意味する言葉じゃない。むしろ、感情表現の一環ですごいことを言う人もいる
と、少しは学んだわけです。…学びが足りてるかどうかは別としてね。

 

話を映画に戻すと…夏子おばさんに対して眞人くんはよくやってると思います。

だって…映画では子どもと親ですよ!?

 

夏子おばさんに
「あなたなんか私の子じゃない」
と言われた時に、
「お母さんと呼ばれて、あなたのお母さんになりたかったんだ」
と察して、【お母さん!】と言える眞人くんは相当凄いやつですよ!?

いくら大人で精神的にキツいと言っても、30・40の大人の女性が暴言を子どもに言って正しい返しを期待するのは…普通無理よ?
私は母にしてあげられなかったし、最近までそういう事があったとしても「一生涯レベルの拒絶」だと捉えてたもん。

でも眞人くんは若くして適切な回答をしたから、俺の中では

こいつ、一生の間に3桁の女と寝れるわ

と思うぐらいに舌を巻きました。

お金あって、コミュ力あって、親ともこの映画で和解してるんだから…もう有望な要素しかないです。
メンヘラ製造機になるか、ヤリチンになるか、そこまで性欲はなくて早々と世間体のために結婚してそれっきりかわかんないよ?

 

でも、「経験人数3桁イケるやろな」みたいなポテンシャルは感じました。
4桁以上は男優か校長先生で、一般人が到達できる領域じゃないので…知らんけどな!

 

他の男は男で、コミュ症患ってるけど…これも説明がないから、わからん人にはわからん。

映画終盤で、「こいつ3桁の女と寝る人生を送れる程度に才能があるな」と思っちゃうぐらいの眞人くんですが…彼も彼でコミュニケーションには苦しんでます。

というのも彼、お父さんのことをよく思ってないですね。
最後の方まで会話が噛み合ってないし、再婚した相手との夜のキスで、不信感を持った節さえありますね。

そもそも、お父さんが車で学校に乗り付けたり、息子のために多額の寄付をしたのがマズすぎました。

学校でも子どもの心理は
「基本、みんなと同じがいい」
みたいなところが真面目な人が考えがちです。学校が社会だから「学校の中でちょっと個性がある」ぐらいのラインを求めてるのであって、「場違い」になるほどの個性は求めてないんです。

みんなと同じになるどころか、最初からあからさまに「俺はみんなとは違うんだ」と見せつけちゃったことで当然いじめられるし!当然「学校に行きたくない」と思うんです。

「自分は場違いすぎるから学校に行きたくない」
というそれだけのことなのに、親にうまく伝わらなくて、しかもその親がコミュ障というか毒親というか…眞人くんの話もろくに聞かないで、突っ走るタイプです。

いや、私の母もこういうタイプだったからよーくわかるんですが…むしろ子育てには熱心だし、子どものことは本人なりには愛してるんです。
「本人なりに」というのがポイント高くて、子どもがなにを考えてるとか、どうしたいとかそういうことを聞けない人が毒親まっしぐらになるんです。

子育て放棄系毒親もいるにはいますが…話もろくに聞かない子煩悩タイプもいるんです。

てなわけで、眞人くんと父親の関係は、映画始まる前から眞人くん目線ではあまり良くなかったと思います
そして、そんな折親戚のおばさんと再婚して、実の母のことが忘れられない眞人くんにとっては…「父に裏切られた」「自分は新しい環境で苦労が増えるが、心を開いて話せる人がいない」という気持ちになっていたと思いますし、実際そういう態度が出ていたわけです。

「子どもが親を評価するなんて何様だ」
と思う人もいるかもしれませんが…関わりのある他人は常にあなたの言葉を聞き、行動を見ています。

たとえ、「評価する側」じゃなくても、「評価」そのものはあります。
「上から目線?それ、相手に何も思うな・言うな感じるなって思ってます??」
って話になっちゃうんですよね。

誰もが他人と関わる限り、相手はあなたに対して好きとか嫌いとか感情的なものも、わかってる・わかってないみたいな理解度や頭のよしあしを感じ取るし、あなたとコミュニケーションを取るために/危険人物でないか判断するために、一挙手一投足見られています。

そして、それは誰もが「自分」が思った通りに伝わってません。

当たり前ですよね?
眞人くんはお父さんじゃないし、私はあなたじゃないし、あなたも私じゃない。
だから「全く同じ」はありえません。
したがって、人の話を正確に理解した上で聞いてないと「感情的に愛していても、全く伝わってないどころか、むしろ迷惑」なんて話になるんですよ…毒親に限った話ではなく、すべてのコミュニケーションがね。
だから、どこまで行っても、どんなにツールが発達しても、人間はコミュニケーションで躓くんですよ…。知性・体験・好み・立場は人それぞれで、必ずしも同じ言葉や結論を持ち得ないからね。

それで、他人との関わりを閉ざして優しい世界を作ろうとしたのが大叔父なんですけどね。

大叔父から見た眞人くんは、他人とのコミュニケーションに疲れて自分の世界に逃げ込む「素質」があると思ったわけです。

だって、今お父さんとディスコミュニケーション中で、義理のお母さんのことをお母さんとして真正面から見ることができてないんですから!

それが、お母さんとの和解とか、実の母との再開を通じて、
自己否定もできるし、自己受容もできるし、相手が言ったことを言葉尻や客観性以外にも気持ちに寄り添って判断できるスーパーコミュ強の眞人くん
に成長できたからおじさんの一人の世界には染まらないし、下の世界から出ていくことができたわけです。

その辺の成長を全部わかったお母さんがギュッと抱きしめたりするんですが…

そんなの、わっかんねぇよな!

 

エンターテインメントって言うのは、つまるところ「面白さをわかるように伝えること」なんですよ。

野球でいうと
「観客や審判がわからないスーパープレイ」
って注目されないどころか誤審されたり、過小評価されたりしますよ。

【なんで出ているかわからない選手】は野球のプロにしかわからない才能を秘めていたり、
【野球オタクにわかるすごい選手】の良さがわかるまで、一般の野球ファンは3年以上遅れて評価しだすことなんかザラにありますよ!

ぼくなんて、若月健矢選手を2019年時点ですごい選手だと思ってたし、彼こそが侍ジャパンに呼ばれると思ってましたよ!
でも、東京五輪はおろか、WBC2023にも呼ばれませんでした。
2023年のWBCが終わった頃に「代表に選べ」という声が多数派になるぐらいタイムラグありましたもの!

若月以外にも、西武の古賀捕手も「この人は来る」って去年にはわかってて、今正捕手ですよ!!

でも、それはデータを見たり、いい選手の特徴を知ってる野球オタクの話ですよ。
フィールドの中で見た人みんながデータベースを見るわけじゃないし、フィールドの中ですぐに気づけるインパクトに残るわかりやすいプレイはメディアが報道してくれないと…野球中継を見て、技術的に分析できるマニアックなファンしか、若月・古賀の良さはわからないのです。

そういう意味では、「わかりやすい舞台」でビッグプレーをした甲斐拓也の方が遥かにスターで、エンターテインメントの上では評価されるのも納得なんです。

そして、人々がエンタメ上のコミュニケーションを理解できるのは、様式美に基づいたり、補助的なセリフがあったり、記憶に残るモノを制作者またはメディアが作るからです。
さらに、日本に作家性の高いアニメ映画が多様に作られるのは、難しい作品を読み解けるオタク・見どころを伝えてくれるメディアの存在が発達してるからです。

でも、エンタメ映画っぽい予告や、メディアによる宣伝を排除しちゃったからこの映画ってわかりづらいんです。

一部のクリエイターはオタクやメディアを見下して選民意識を持っている人もいますが…この映画はその一端を示してくれています。

「もしオタクがいなかったら?」
「メディアが面白いところを切り出したり、見どころを説明してくれなかったら??」
アメリカのアニメと同じで、子ども向けと人気シリーズの続編ばっかり作られる世界になりますよ?
だって、作家性の高い映画作ってもわからない人の数がすごく増えるし、メディアが咀嚼したり、見どころを提示してくれることもないんですからね!?…興行的に作れなくなると思います。

「君たちはどう生きるか」に限ったことじゃないんです。
作家性の高いアニメ映画は、オタクやメディアがある程度成長してるから成り立ってます。
【暇人でもそこそこ学があって、作品を理解できて、人によってはメディアとして発信できる】という日本の特異性が市場として昨日してくれるからクリエイターは色んな作品を作れます。

クリエイター当人が作品を創り始める前から積み重なってきた財産を、自分のプロ意識と作品のクオリティだけの賜物だと勘違いしてるなら、そいつはファンと同じ数のアンチが生まれますよ?(「もしそこまで強い選民意識を持っていれば」というIFの話ですけどね)

プロ意識やクオリティにこだわるのは自由だし、立派なことですよ?
作品作るのって、作品をわかることや集めることよりも絶対にすごいことですよ?
だから、原則としてクリエイターはリスペクトされると思うけど…この映画みたいな尖った作品を作る場合は、わかってくれる人・自分とは違う発想で切り抜く人たちに対しても謙虚であることまで含めてのプロです。

だって、わかんない人が出て当然の映画なんだから「正しく理解される」とは限らないですからね。

 

「君たちはどう生きるか」はオタクキラーか、それともオタクへのエールか

話を戻すと、宮崎駿さんは大衆を「難しい作品がわかるオタク」に何十年もかけて押し上げてきたひとりです。

最初は子ども向けや人気シリーズで作品を作ってきましたが…大衆エンタメの要素も残しながら「作家性の高いアニメ映画」の走りの一人として、「有名監督のアニメ映画」がたくさん作られるきっかけを作った一人です。

他にも色々いただろうけど、宮崎駿作品がヒットしたことで細田守・新海誠辺りを中心に作家性を全面に押し出したアニメ映画が作りやすく、宣伝されやすい環境になったことを否定する人は少ないと思います。

そして、最後の最後に時代を作ってきたオタクに向けて作った映画が、「君たちはどう生きるか」です。
「君たちはどう生きるか」といういかにも小難しいタイトルと前情報のない映画なんて、もう各種オタク…さらにはブログ・YouTube・雑誌などで映画を語ってくれるメディアしか見ないわけです。

で、オタクだからこそ、持ち前の読解力や作品を真正面から受け止められる可能性があるわけですが…今回のテーマが、オタクの苦手なコミュニケーションというわけです。

これは「気持ちの悪いオタク」に対して、
「身の回りの人の話を聞け!」
「自分の世界に逃げ込むな!お前にも悪意がある時点で文化や学問が持つ美しい世界の住人ににはなれないんだ」
というジブリにまとわりついていた気持ち悪いオタクを最後の最後で焼き払って、オタクの楽園を崩壊させてしまうお話だったのか?

それとも、今まで一緒に時代を作って、映画も見に来てくれたファンが自分がいなくなっても幸せになれるように
「愛情はちゃんと言葉と行動で示せ」
「憎まれ口を叩き合う友達のことも、ここぞという時は大事にしろ」
「3桁の女と寝れるコミュ力教えてやるから、お前の成長を一緒に喜んでくれる女にギュッと抱きしめてもらえ」という宮崎駿についてきたファン・オタク・メディアが幸せになれるように、示してくれた愛情と、愛情を受け止めた先を描いたからこその下の世界の崩壊だったのか??

 

ぼくにはわかりません。
ただ、「宮崎駿さんからの愛と激励だったら嬉しいなぁ」と思って、この記事を締めさせてもらいます。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

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