クリエイターが作れるのは当たり前だから、「作る以外」の力をつける訓練をすべき

 

こんな学生、いりません」と書かれたクリエイター系の社会人の書いたダメな学生についての手記を読んだ。

いらない学生の条件は次のようなものだそうだ。

何も作ってない
→学生のうちになんも作ってない人がクリエイターとはねぇ…

具体的なビジョンがない
→なりたい道や作りたいものがある人ではなく、漠然と「すごいものが作りたい」的な人はNG

インプットが足りない
→アウトプットするものは大概、インプットした範囲の中から生まれる。

実績、経歴を勘違いしている
→クラスや学校のレベルがわかんないからある程度広範囲の争いでないところで自慢されても…

友人が多いことは良いことだと無条件に信じている
→お山の大将・駄サイクルになってない?

攻める姿勢がない
→作品が多くてもコンテストに出してない、作品を公開してないのはダメ。

お金をいただく、ということに嫌悪感を持っている
→フリー配布の経験しかない、作品で稼いでみるという経験をしてない

こんな学生、いりません

(太字は見出しそのまま。補足説明のみ筆者が要約して付け加えて)

総合職でこれを求めたら高望み。
でも、クリエイターについてはむしろこれぐらいきついことを求められるのだろう。

なにしろ、営業や経理のようなことは社会人に出るか、都心の高学歴な学生限定のオフィス系のアルバイト経験者ぐらいしか具体的なビジョンなんて持ちようがない。
そのため、そういう会社は逆に縁がある人の方が少ないから受からなくても気にしなくてもいいだろう。

ただ、クリエイターは…学生のうちから自分から進んで色んなことができる分、

そのぐらい学生のうちにやっておいてよ。企業では次のステップから始めたいのに

と思われる気持ちはわかんなくもない。

自分がしてきた(主にブロガー、たまにライター、たまにデザインや広告のアドバイスをする人)ことを企業の職種で分ければ、クリエイターの要素が強いに近いから、言われているような試行錯誤をしてきているため、思うところがあった。

例えば、同じようにブログを書くだけでも、

・漠然とはてなブックマークばかり狙っていた時の手法
・検索一位を狙ってコンテンツを作りこんでいく手法
・有料コンテンツに入ってくれた会員、会いに来てくれた人に向けた手法

は厳密には違う。

基本や共通点もあるけど、直接特定の個人からお金をいただく時ほど難易度が上がる

そして、やっている人にしかわからないことも多いから「若いうちに競争する経験・マネタイズを考える経験してくれると助かる」という企業側の言い分はすごくわかる。

 

クリエイター・作り手を志すなら「実戦経験」がモノを言う

例えば、無料では1600人の購読者がいるこのブログもお金を出してまで読みたい人がどれだけいるかというと…また全然違うスポーツになる。

もし、1600人の読者が毎月100円払ってくれたら、それだけで下手なフリーターぐらいの生活はできるし、200円・300円だったらサラリーマンとほとんど変わらない生活ができるが…それはなかなか難しい。

書くことについては色々やってるけど、有料サービスの運営は経験も浅いし、手本になる人もいない(無料でできることよりもはるかに信用できる情報・そのまま真似できるノウハウを仕入れるのが難しくなる)から、悩むことが多い。

未だにこれでいいのか試行錯誤してる。

ネットの世界で

「はてなブックマークをしてもらう」
「毎日数千人の人が僕のブログを見ている」
これも十分すごくてありがたいこと。
でも、それは換金ツール・お金を貰う機会を設けないと、アクセス数もリツイートもただの数字でしかない。

各種クリエイターは数字を追ってるだけで、換金ツールを通す大変さを理解していないとそこで勝手に満足してしまう。(むしろ、そこからが血の滲むような戦争と努力なのに…)

だから「作品をいっぱい出すだけじゃダメ」「フリー配布の経験しかないのはダメ」という人の意見は正しい。

いや、もっと厳密に言おう。

読まれるもの・見られるものを作るっていうのは「芸ができる」だけ。
それはクリエイターとしてはスタートラインにたっただけ。

作る以外の大変さと手続きを知ってこそ、大人の世界なわけで…。

1000人に見られようが、2000人に見られようが、そこにお金が投げ込まれたり、色んな物を見ている業界のツウが声をかけてこないうちは「有望」なだけ。
ブロガーから本を出してもその後が続かない人なんかゴロゴロいるし、逆に出せなくても「有望」で慕われてる人もたくさんいる。

高校球児なんて甲子園に出てるか出てないかの違いはあっても、プロ野球でやっていけるかどうかは未知数。
プロのスカウトが選んでも失敗する有望株もいれば、甲子園では勝てたのにプロに行けないで有望のまま終わる人もいる。

芸ができるってのはそういうこと。
芸にお金を出してもらうというのはもっとカネにがめつい顔をした相手と勝負して勝つことだったり、勝つために念入りな準備をすることだったりする。

書き物の場合、お金にがめつい人を検索エンジンなどで相手にすると、ただいいものを作るだけじゃ勝てない時がある。SEO的の事を知っていたり、耳寄りな広告をうまく付け加えるテクニックや情報の早さも勝負を左右することだってある。

ただのネット民なら、「卑しい手法だ」「Googleが悪いんだ」と言う青臭い理想論をほざいていればいい。
でも、検索順位がそのままお金・生活・評価と直結する人達はGoogleが正しくするのを待ってることなんてできない。そのため、SEOや広告とバランスを取りながらサイトや記事を作りこむ柔軟さや割り切りが求められる。

一方、お金にシビアな人を相手にする場合、仕事を振る人・出資者とのコミュニケーションが求められたりする。
ブログ以外のマネタイズをはじめてから色んな人と会ったり、仕切る側に回ったりするけど、そういう局面になればなるほど自分の社会経験のなさ・特定の人としか付き合えないコミュ症に苦しむことはすごい多い。

クリエイターという「全員が、最低限の芸ができる場所」で戦う経験を求められてしまうのは突出した技術よりもむしろ、段取りや言い出しっぺになること、仕事と割りきったうえでの柔軟さが大事な局面は多い。

クリエイターに技術だけで殴りあうロックンロールなイメージ通りには行かないこと、行かないからこそ「なんでこんな奴が」ってことはいっぱいあるわけで。

比較的特定の他人との根回し手回しが少ないブログの世界でさえ、そういうこと状況になっている。
台頭した若い子は、ライティング技術では僕が見てきたどの世代よりもできが悪かった。

しかし、書くこと以外のバイタリティが強烈で有料コンテンツや、集まり、新しい試みを活かしたPRなどを次々と作っていった。

そういうアグレッシブな部分がそれ以前の世代にはなく、僕なんかよりも昔から尊敬されているブロガーさんもたくさんいる中、そういう人を飛び越え、書き物をマネタイズしてしまった。

ネットでは彼らを「中身がない」とバカにする風潮があるが、アレは実際にやってみるとすごくめんどくさいし、大変なので「できること」自体に僕は尊敬する。…やりたいとは思わないけど。

有料のサービスを自分でやったことない人・知らない読者や業界人とお会いして距離感を見つけることをやったことない人はついつい「クオリティ」とか「芸」だけで論じるだけの…悪い意味でオタク…オタクというよりも、お金とか人間が動かない子どもの世界観。

それが全てだとは言わない。

別に、「ブログは、絵は、動画は、実況は、歌は、プログラミングは…趣味です」という人を否定する気はない。

ただ、全員がそれが当たり前にできる空間にいる時、雌雄を決するのは相手の苦労や気持ちがわかるかとか、真剣に考えたことあるかとか、そういう泥臭い部分。

最近、自分の社会経験のなさ・コミュ力のなさ・不勉強さに対して、書く以外の勉強や調べごと、コミュケーション力を問われる場面が増えたからなおさらそうだ。

お金が関わったり、狙いに行かないとなかった経験だからそこを企業や現場の人が共有したい気持ちもわからんでもない。

 

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