二次元コードというサイトを立ち上げました。
そのついでに、こっちのタイトルも変えることにしました。
サイト名変更の経緯
まず、ブログ名変更の経緯ですが…旧ブログ名「青二才は振り向かない」をつけた人物と喧嘩になったから、変更することにしました。
はじめは
「一秒でも早く、そいつのことを早く忘れたい」
という理由でしたが…しっくり来るタイトルが見つかりませんでした。
このブログは何度か命名してて、覚えているだけでも、
青二才ブログの名前変更の歴史
「とある青二才のぼやき」…野球ファンだから、野村克也の「ぼやき」から取った。
「とある青二才の斜方前進」…ニコニコ動画が好きで「予想の斜め上」という言葉が当時はやってたこと、それを当時流行ってた「とある魔術の禁書目録」っぽくつけたかったから「斜方前進と書いてビヨンドイマジネーションのかっこよくない?」という感じで命名。
「かくいう私も青二才でね」…好きなアニメである「攻殻機動隊GIG」の合田一人の名言「かくいう私も童貞でね」から取りました。
「いいたくないけど、ぼくが青二才です」…これはアルバイト中に「いいたくないけど」が口癖の人に出会ってそれが頭から離れなすぎてこの名前に。
「バーチャルネットアイドルao(2歳)」…私がまだはてなブログにいた頃に、「はてなアイドル」と言われたことから、こんな合いの手が入ったことがきっかけ。
「青二才は振り向かない」…当時、友人で今は「絶対倒さないといけないと思うぐらいに憎んでいる敵」(ここまで言い切る理由は後述)みたいな人から、命名されたブログ名。「ポニーテールは振り向かない」が元ネタ。
という感じで、名前をつけてきました。
ここで注目なのは「ほぼ、オタク文化から引用してる」というところです。
だから、このブログは自分の理念とか、感情をうまく表現しきった名前というより「当時流行ってたものや誰かが好きなもの」から取った名前が多かったです。
今回ブログ名を変えた理由は
「これじゃあ、俺のやりたいことがちゃんと表現できてる名前じゃない」
「それどころか、嫌いな人にまだ主体を乗っ取られてる名前じゃないか!」
という気持ちから、変えました。
俺は「目」で語る。だが、「背中で語る」人もいるし、気配りや情報で語る人もいる
これは、「二次元コード」というサイト名を考えた時に、友人と長め話した時に出てきた話なのですが…
「俺とお前じゃ、思考レベルでやり方が違う」
「でも、それは人それぞれなので、あなたはもっと多様な価値観を理解すべきだ」
的なことを言われました。(文脈を省いて、わかりやすくしてます)
そのことから、私の「目」に頼ったスタイルは、優劣や正しさではなく、1つのスタイルなんだと理解しました。
「目」で語るとは、自分の視点や盛り上がりを重視したスタイルです。
作品を紹介するにしても、
「売れるもの、読者に見やすい形で紹介する」とかじゃなくて、
「ぼくが面白いと思ったものを、バイブスで語るんじゃ」という感じになります。
「それじゃあ、売れなくない?」
と思うかもしれないけど…逆なんです。
自分がいいと思ってないものを紹介しようとすると、ぼくはその時点で迷ってしまうんです。
逆に、自分が好きなものを熱っぽく語ると、記事の間違いに気づくことがあっても…バカ売れしたりします。
(人生で一番売れた記事は、後から「うわぁ〜」と思うミスをしてたけど、熱意が伝わって売れました)
もちろん記事を書く時にはミスのないよう取り組んでます。
サイトや記事を読んでほしいから丁寧にわかりやすく頑張ってます。
それらをないがしろにするようなことはしてません。…ミスはしちゃうけどね。
でも、「これが私」という部分は、
「その作品が好き」
「この趣味が好き」
「ここに悩んでる」
「これを伝えたい」
という熱量であって、それこそがいい結果を生むのです。
そんな、オタク気質で、自分の「目」を重視してしまうため、憎んでる相手と戦う時に
「ここからは、目で語る戦いだ」
と一人つぶやきました。(この言葉が、ブログ名の由来。元ネタは後で解説)
これは
「あなたが本当にいい目をしているなら、あなたの作ったものややっていることはちゃんと素晴らしいはずだ。
逆に、ぼくの目があなたに劣っていたら、ぼくは負けるはずだ。」
みたいな、自分のモノサシでしかモノを言ってない言葉です。
でも、私が敵視してる人物って、そもそも「目」で戦う邪気眼使いじゃありません。
「とにかくやること・行動することが正義」という、「背中で語る」タイプです。
向こうの方が一見正しそうですし、セオリーだとは思うのですが…それは職業病の違いです。
というのも、ことWebサイトではいくつもの記事を作っても、それが検索にかからないのでは意味がありません。また、スパム認定みたいな行動は取り返しの付かすのに1年かかる致命的なミスだってあります。
行動は大事だけど…いかに「行動の精度を上げていくかが行動数より大事」という局面があります。
また、仕組みや目標が狂ってて、「バズったけど続けるのがしんどい」なんて話・活動やめちゃった人はいくらでも見かけます。
だから、サイト運営をするなら「目」も大事。
いいものを紹介する・致命的なミスをしないためにちゃんと検証するといった要素が重要になってきます。
でも、とにかく手数が大事な仕事も世の中にはあります。
とにかくリーチして、とにかく予定を埋めて…という仕事もあります。
そこって、モノサシが違うんです。
どっちが正しいじゃなくて、もう職業病やスタイルの問題です。
みんな違うから、色んな人が色んな素晴らしいを提供してくれる部分もあります。
しかし、色んな人がいるから衝突したり、理解できない部分もあるから…人間関係は難しいよ。
サイト名の元ネタは…うちはサスケです。
このサイト名の元ネタは…NARUTOです。
もっと深掘りすると、うちはサスケVS志村ダンゾウの戦いの中で出た言葉です。
まず、両方とも写輪眼使いです。
写輪眼という作中最強の能力を持つ「目」があって、
・うちはサスケは、写輪眼を持つ血族に生まれたから持っていて、
・志村ダンゾウは、うちはサスケの家族や親戚たちから奪い取った
という経緯で写輪眼を持っています。
写輪眼対決だったため、
「ここからが眼で語る戦いだ」
とダンゾウが戦いの最中に口にして、決定打を打ち込んだ後にうちはサスケが
「これが眼で語る戦いだ。うちはを舐めるなよ」
と戦いの最後の方に言ってます。
うちはサスケは、家族を奪われた復讐者です。
最初は、家族に直接手を下した兄のことを恨んでいましたが…そう仕向けた黒幕がダンゾウだとわかると、ダンゾウを倒すべく、対決することを決めました。
私にとって、このサイトを見る度に、あるいはここ以外の好きなサイトに私がキライなやつの記事が表示される度に…吐き気を催すほど精神的に辛かった時期があります。
また、私に吐いた暴言の数々は、どれだけ心を整理しても「ここだけは許せない」と思うぐらいの言葉がいくつかあります。
正直、それを公表して相手を潰してやろうと思ってた時期もあります。
それこそ、サスケのように「復讐に殉ずる」つもりだった時期もあります。
ただ…サスケがちゃんと兄と和解できたり、仲間に救われて次の人生を歩むことができたように、私も
「復讐心は、殉ずるような方法ではなく、自分の人生を生きてちゃんと幸せになる方法にしないと…」
と、いう【復讐を果たしたサスケ】【ストーリー単位でサスケをリスペクトする意味】の両方を込めてこの名前をつけました。
…だって、サスケくん犯罪者なのに、自分の功績で無罪放免にさせて、続編ではちゃんと結婚して子ども作ってるんですよ?
サスケが最初から「復讐のあるべき姿」だったわけじゃないけど、
「復讐に殉ずる覚悟で強くなって、その強さで周りを認めさせて、子どもも作って、自分以外の子どもからも慕われてる」
っていうのは、復讐者の理想形じゃないですか!?
「これが『目』で語る戦いだ〜青二才を舐めるなよ〜」というブログタイトルは
・自分は「目」こそが武器であり、重んじている価値観。
・「目で語る戦いに勝利したサスケ」の当時が、行き着きたかった1つ目のゴール。
・そして、「サスケが復讐の後に自分の人生を生きる姿」が、一番たどり着きたいゴール。
という、自分のやりたいことを全部やり抜いてるサスケくんと、自分の重視している価値観をうまく言い当てた言葉だったので、この名前にしました。
…あ、そうそう。
話の流れで「敵」だの「復讐」だのと書いてますけど、今は「怒りすぎて気が狂いそうだった時期」に比べると相手のことを認めたり、許せてる部分もあります。
それでも許せないところが残ってるし、そういう「対抗心」がないと自分が動けないほど「目があればいい」とふんぞり返っちゃう怠け者であることも自覚してるから、
「ぼくが相手よりもちゃんと幸せになることが、復讐のゴール。そこまでは立ち止まるな」
という意味で、このタイトルをつけてます。
そういう意味では、頭では感謝もしてるんだよ?
心では「1つだってあいつが正しいことなんか認めたくねぇ」という気持ちはあっても、
事実として、私を本気で怒らせてくれたことで、そのおかげで強くなれた部分はあるからね。
まぁ、頭でどれだけ考えても「許せないこと・正しくないこと」は残ってる。
でも、向こうは私のこと徹底的に見下してるから「謝るぐらいなら腹を切る」ぐらい思ってるだろうし、ぼくも一生その人とは縁がない(頼まれても断る)つもりでいるから、謝らなくていい。
その代わり、とことん自分がいいパフォーマンスを出し切るために、とことん利用させてもらいます。