面白い俺TUEEEと、つまらない俺TUEEE〜なぜ俺TUEEE系小説は叩かれるのか〜

俺TUEEEな作品は「俺TUEEE」だからつまらないのではない!!

■創作物における俺TUEEEE
上記から転じて、創作物において「完全無欠な最強主人公」や「一方的に力を誇示して戦う主人公」を差す言葉としても使われるようになった。所謂「厨設定」や「メアリー・スー」と同列の揶揄であるが、後者と違って一次創作が対象になることが多い。

俺TUEEEEとは (オレツエエエエとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

ラノベクラスタ(≠ラノベファン)から叩かれそうなことを恐れずに申し上げれば、僕は橙乃ままれ作品(まおゆう、ログ・ホライズン)が苦手だ。

彼が描く俺TUEEEは、「未来から来た俺の価値観と強さが全部正しい。あいつらは間違ってるからつまらない戦いやメンツにこだわって負ける」で、未来の価値観を知ってる「俺」がその時代・その世界に生きている人を蹂躙していくだけの話なので、ストーリーとしての面白さは皆無といっても過言ではないだろう。

…それでも、アニメ化すると陳腐化するライトノベル原作のアニメが多すぎるから「あれよりはマシか」と思って見始める。

そして、中盤頃に「あー見なきゃ良かった」と思う。

そんなうんざりした気持ちでログ・ホライズンを見ている時、フォロワーさんから「俺TUEEEが悪いんじゃないのでは??ジャンル単位で俺TUEEEが当たり前なものもあるし…」と指摘された。

言われてみるとそうだ。

例えば、ミステリーはほぼ「俺TUEEE」な主人公しかいない。

事件を解決できないと話が終わらないから、犯人に対する勝率はほぼ100%であり、バランスも何もあったもんじゃない。

トーナメント・勝ち抜き要素が強いの作品もある、バトル、スポーツ、料理系の作品にも「主人公(またはそのチーム)が強すぎて、事実上ライバルがいない」こともしばしばある。

つまり、名探偵コナンも、テニスの王子様も「俺TUEEE」の構造ではあるのよね…。

コナンは基本的に事件を解決するし、テニスの王子様は越前リョーマが作中で負けたことはほとんどない。(青春学園単位では一度も負けたことはないし…)

でも、それを「俺TUEEE」と揶揄する人は…ほとんどいない。

というのも、pixiv百科事典にはこうあるからだ。

その他

小説家になろう等の小説投稿サイトでは、いわゆる「異世界転生物」や「VRMMO物」で
圧倒的に有利な主人公が特にピンチに陥る事もなく並み居る敵を蹴散らし続けるという作品が時たま見られる。
こういった作品を揶揄して「俺TUEEE系小説」といったジャンル付けをされることがある。

俺TUEEE (おれつえええ)とは【ピクシブ百科事典】

言い換えると、こんな感じかな??

うまい少年マンガは演出・ライバルで「俺TUEEE」な主人公とバランスの取れたインフレ展開を考えるから、俺TUEEEとは揶揄されない。

ピンチにはなるし、敵も敵で強いから、ワクワクして「俺TUEEE」系に揶揄されないのよね…。

身も蓋もない言い方すると「俺TUEEE」系なんて揶揄されるのは、演出力不足。

でも、待てよ…。

越前リョーマも、コナンくんも(ピンチになったような素振りぐらいはするけど、)本質的にはピンチにすらならないからこの定義も、少し足りないんだよなぁ…。

 面白いコナンの映画は「俺TUEEE」感が出にくい工夫がされてる

名探偵コナンの、それも映画作品には面白い時とつまらない時がある。

面白い時のコナン映画はラブロマンスがあり、つまらない時はそれがない。

特に、2011年〜2013年のコナン映画はラブロマンス要素が弱くてつまんない。

…悪く言えば、「邦画」っぽくなった。

事件やピンチに対してばかりギャーギャー叫んだり、パニックになって泣くような登場人物が増えてウザくなった。

また、犯人の動機が金であったり、とっさの犯行だったりと…過去のコナンシリーズにはない打算的な方向のクズが増えた。

見比べてもらえばわかるけど、初期コナン映画にはこの傾向はない。

まず、ピンチに対して泣き叫ぶしかないようなキャラが出るはほぼなかったし、泣き叫ぶことしかできない人がピンチに陥る…ということも少なかった。

次に、キャラの行動原則が大きく違う。

特に初期のコナン映画は、犯人が執念深い人であり、毛利蘭も新一との思い出を事細かに覚えている人で「心に残っていること」に対してものすごく感情的で、犯人もまたその方向にクズ(よく言えば、真面目)だった。

最近の作品でも、2014年の「異次元の狙撃手」では、犯人と、ヒロイン(蘭ではない)が「心に残ったこと」に対して感情的な人間像が復活して、とても見応えがある作品に戻っている。

つまり、コナンの面白さは、もっとエモーショナルな部分にある。

それを、犯人に当てはめると「執念深い人」になり、蘭と新一の関係性に落としこむと「ラブロマンス要素」になる。

そして、それはピンチだから泣き叫ぶとか安直なものじゃなくて、もっと深いところから出ている感情が重視されている。

コナンが強すぎるのに、「俺TUEEE感を感じない」のは「犯人が強力だから」とか「黒の組織がいるから」じゃない。

「蘭の思い出や、待たせているという状況」

つまり、事件という目の前の時間ではなく、新一として蘭と一緒に生きてきた時間と向き合っているもっと深い部分の感情を描いた話だからだ。

犯人を捕まえようが、黒の組織に勝とうが、結局は蘭が生きてて、なおかつ新一のことがすきじゃないと何も意味がない。

だから、アレだけ強いことにも意味がない。

いや、アレは恋人が目の前にいるのに、認知してもらえないという意味では、ラブコメとしては最弱。つまり、コナンとは最強の探偵(俺TUEEE)であり、最弱の彼氏(俺YOEEE)でもあるわけだ。

俺TUEEEをうまく総括した作品こそ「食戟のソーマ」

そして、コナンの構図もありつつ、コナン以外の俺TUEEE要素もうまくまとめたのが「食戟のソーマ」だ。

これは、主人公の幸平創真の場合も相手には基本、負けない。

特に5巻ぐらいまで、番狂わせの俺TUEEEを繰り返していた。

そんなソーマでも、5巻までに負けたことのある相手が

・父親…むしろ、勝ったことがない目標。るろ剣で言う比古清十郎、テニプリで言う越前南次郎。

・薙切えりな…料理では条件を満たしたのに、彼女の感情を納得させることができず、敗退。この作品のツンデレ要因のヒロイン。

(四宮小次郎は厳密に言うと、ソーマと勝負したわけじゃないから、ここでは割愛)

主人公が強すぎる場合、

・その強すぎる主人公を育てた師匠

・主人公に対する勝ち負けを、好き嫌いで決めるヒロイン

など、それに勝ってしまうと物語が終わってしまうラスボスキャラ、一番デレにくい・交際が成立しにくいヒロインバランスを取る必要が出てくる。

ソーマはそれをうまく総括できている点がすごい!!

「俺TUEEEが全く意味を成さない」ことでバランスをとる作品

これは、ソーマでも少し出てくる部分だが、別の作品で説明した方がわかりやすい「実質的に俺TUEEEなんだけど、俺TUEEEだと言われない作品」の話も少し。

例えば、エヴァンゲリオンはすごくわかりやすい。

人類にとって敵は使徒だが、シンジ君にとっての天敵はお父さんや、同居人との関係、仕組まれた運命が引き寄せる理不尽なわけだ…。

だから、ロボットモノとしては俺TUEEEだし、ロボット自体もかっこいいけど、そこじゃないところで人気があるし、そもそも俺TUEEEなんてそしりを受けない。

あるいは、デトロイト・メタル・シティや、その作者がいま連載してる「世界はボクのもの」も近いね。

あの作者も「登場人物の願望や戦ってるものが、その才能とすれ違っている」話が多く、主人公がやりたい放題すればするほど苦しい立場・理不尽に追いやられる矛盾した構造が面白い。

ピンチにもならない作品、ピンチの素振りすら見せずに勝ってしまう演出力のない「俺TUEEE」系は論外としてだ!!

俺TUEEEな主人公がいても、俺TUEEEに見せない方法は意外にあるし、ラノベ・小説以外だとうまく演出や物語の構造をいじって乗り切ってる作品はいっぱいある。

でも、ラノベになった途端、それができてない作品が急激に増えるか、増えて「見える」のはなんなんだろうね??

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