歴代監督の歴史をたどる「監督の歴史シリーズ」。
今回は、野球ファンならみんな大好き、近鉄バファローズについて語っていく。
…とはいえ、仰木監督の10.19みたいな伝説の戦い、梨田監督のいてまえ打線の話は有名すぎるのでもっとマニアックに「歴史」を話していく。
…というのもですね…近鉄は1979年に西本監督が優勝するまでは、「パ・リーグのお荷物」と言われた球団。
そのへんの話はほとんど野球ファンの間でもされないから、
「歴史というからには、野球ファンがあまり取り上げない部分を取り上げなければ」
ということで、今回は西本監督就任以前の話が多めで行く。
…いや、これが意外と面白いから、是非読んでもらいたい。
近鉄パールズの由来は真珠。では、バファローズの由来は??
バファローズと言う名前になる前は、近鉄パールズと言う名前だった。
これは、親会社の近畿日本鉄道(近鉄)の、沿線である伊勢志摩地方が真珠産業の盛んな地域だったため、パールズと名づけられた。
この名前自体がプロ野球チームとしてそもそも異色。
というのも、普通はもっと強そうな名前にするから「パールズ」みたいな強いんだかよわいんだかわからない名前にはならない。
例えば、広島カープの「鯉」は、「登竜門」の故事に由来していて、
「滝を登りきった鯉が龍になる」
という伝説が元ネタ。(他にも龍とか虎とかは普通に強そうでしょ)
この異色さは、「バファローズ」になっても変わらない。
沿線沿い繋がりで「松阪牛かな?」と思ったら…なんと、たった一人の監督を呼ぶために、チーム名を変えてしまったから「バファロー」というチーム名に変えたのだという。
関西にある別の球団が、往来の名選手をFA争奪戦した際に
「縦縞を横縞にしてでも」
と言ったことがあるが…本当に「縦縞を横縞に」と呼べるほど監督の招聘に熱を入れたのが、近鉄なのだ。
「チーム名になるほど、偉大な人は?」
というと…戦前から活躍した巨人の名選手「千葉茂」である。
千葉茂は現役時代に「猛牛」という異名を持っていたため、千葉茂を招聘するために、チーム名を変えてしまったのだ。(しかも、ロゴは岡本太郎のデザイン)
近鉄のやったことは方向性としては正しくて…昭和の間~平成初期はプロ野球の弱小球団を再生した「再生請負人」の多くは、巨人軍で活躍した名選手・名監督たち。具体的には
西鉄・大洋と三原脩、
日本ハムと水原茂、
中日と与那嶺要、
西武・ヤクルトと広岡達朗、
西武と森祇晶、
ダイエーと王貞治
日本の球団のうち半分は巨人軍出身の監督が基礎を築いたり、再生したチーム。だから、千葉茂に監督を頼むという方向性自体は、ものすごく正しい。
巨人出身者の力を借りずにチームの基礎づくりや再生をしてきたチームの方が少なくて、
・阪神
・阪急、オリックス
・広島
・毎日、大毎、ロッテ
ぐらい。
近鉄はどうなのかと言うと…プロ野球の歴史で唯一「巨人の野球では再生できなかったチーム」なわけ。
千葉茂でも三原脩でも優勝できなかった監督泣かせのチーム…それが近鉄
「勝つべくして勝つ」
という意味で歴代最強の監督は川上哲治だろうし、多分これを否定する人はほぼいないだろう。
ただ…チームを再生することに関して最強の監督については…色んな人の名前が挙がる。
その中に西鉄を再生し、大洋でも優勝した三原脩の名前は絶対挙がるはず。
ところが、その三原脩でも優勝できなかったのが近鉄。(なんとか、2位にはなったけどね)
そして、千葉茂に至っては当時いた契約金すらもらってない無名選手ではとても優勝などできず…シーズン103敗というすごい記録を残している。
これだけでも「監督泣かせのチーム」と言えると思うが…そんな近鉄を優勝させた西本幸雄についても「監督泣かせの魔のチーム」っぷりに泣かされる。
…というのも、西本幸雄は、監督として阪急ブレーブスを再生した実績のある人。
それも、阪急時代はプロ相手にキャッチボールから教えるほどの徹底ぶりで、弱小球団だった阪急を5年かけてリーグ3連覇できるほどの球団に育てている。
近鉄は阪急に比べたら、基礎工事はできあがってた。
まず、就任前年は岩本堯監督が最下位だったとは言え、3年前に三原脩監督が作った基礎が生きていて岩本堯監督も2位3位とそれなりに戦えているチーム。(三原→岩本堯→西本の順で就任している)
しかも、投手コーチに杉浦忠(187勝投手で、野村克也に「あまりにも投手として出来すぎていてリードするのが退屈」と言わしめ、落合博満に「杉浦さんが入ってない名球会に意味あるの?」と言わしめるほど。)、守備走塁コーチに仰木彬という豪華なコーチ陣に、さらには300勝投手鈴木啓示も健在。
だが、あの西本幸雄をもってしても近鉄を優勝させるのに6年かかってる。
何もなかった阪急よりも、万全の布陣で臨んだ近鉄のほうが1年多くかかってる。
しかも、阪急では再生すると3連覇したけど、近鉄では2連覇にとどまってる。
この記事を読むまで(ぼく自身、書くために調べるまで)
「20世紀中に優勝した数で言えば、日ハムや大洋・横浜より多いから、近鉄の再生はそこまで難しくない」
と思っていたことだろう。…違うのだ!
近鉄で優勝するのが一番難しい。
近鉄より優勝できてない他の球団は監督・指導者選びがもっとグズグズだから優勝していない。
一方の近鉄は、ちゃんと優勝できる監督を何人か呼んで最低でも3年はやってもらって…それでも、優勝するまでに30年もかかっている!!
ここまでのことを踏まえて仰木彬の就任を考えてほしい。
最も監督泣かせな近鉄で、球団史上唯一Bクラスに落ちないチームを作ったのは、仰木彬なのだ!
それも、西本幸雄から直接地盤を引き継いだのではなく、仰木彬まで回ってくる6年間空白の期間がある。
(※6年の間に就任した監督たちが無能だったわけではない。監督としての勝負強さはないかもしれないけど、コーチとして超一流な人ばかりが就任しているため、人によっては「仰木監督の前の監督たちがきちっとしてたから、仰木政権で爆発することができた」と言う野球ファンもいる)
前の優勝からしばらく経っていたが、仰木監督は就任2年目には優勝。
就任中の5年間で一度もBクラスがない。
中日でAクラスを維持した落合博満だって名将だけど、さらにチームを維持するのが難しい近鉄で5年間チームを維持した仰木彬は…ホンマにすごい!!
維持どころか、野茂英雄をドラフトで引き当てて後任に対して大きな財産を残してから引退しているのだから…それはもうすごい!!
…その後、野茂英雄がどうなったかは…みんな知ってるでしょ??
でも、あの話はもうちょっと奥が深いんだよね…。
鈴木啓示と野茂英雄は、実は似た者同士説
名将仰木彬の後任として就任し、仰木が作った貯金を使い果たした史上最低の愚将「鈴木啓示」については…監督時代のことはいっぱい語られてると思う。
でも、鈴木啓示自身が野茂英雄とプレイスタイルが近いことはあんまり知られてない。(※性格は真逆です!)
近鉄という劣悪極まりない弱小球団で300勝投手になり、球団唯一の永久欠番になった鈴木啓示。
彼の本来のピッチングスタイルは…大量の四球と三振を量産する「力で投げ勝つ投手」なのだ。
それを現役後半まで続けてきて、西本幸雄や杉浦忠という名将と名投手からの指導を前にしても、しばらくは三振を量産するスタイルを辞めない頑固一徹な人だった。
後に、指導者の意見を取り入れて打たせてとるスタイルに変えて最優秀防御率のタイトルを獲得するが…若い時のスタイルは四球や暴投が多く、三振も多い野茂のスタイルとかなり近いものがあった。
だからこそ、野茂のスタイルが、丸くなる前の自分のスタイルそのままで、許せない&頭打ちすることにも気づいていたのだろうから…しつこく口を出して…結果、ほとんど追い出す形で野茂にはメジャー挑戦をさせる羽目になった。
加えて、昭和の鉄人特有の「超人的な調整法」が、野茂どころか近鉄投手陣と合わなかったことも対立の大きな要因。(投手陣の調整法を担当していたコーチと対立し、結果的に就任1年目で辞めさせている)
聞いた限りではちょっとでもコーチ経験・就任前に現場とのコミュニケーションがあれば避けられた悲劇のように思えるが…どうしてこんな事になったのか?
愚将鈴木啓示が生まれた原因と、近鉄にダメ監督が少なかった理由
そもそも近鉄というチームは、基本的には監督をコーチからの内部昇格で選ぶことが多い。
西本や三原のように時々外部から名監督を呼ぶこともあったが、西本以降は仰木彬まで全員コーチからの内部昇格。
だからこそ、コーチとして優秀だけど監督向きじゃない人が就任したり、監督に抜擢されるほど名前が知られている…というわけでもない、マニアックな選手が監督に就任している。
ある意味、仰木彬さんが監督をできたのも、この内部昇格・前任者からの推薦の文化があったおかげだが…鈴木啓示は解説者からいきなり監督になった。
だから、好き勝手言えばいい解説者のノリで監督をやり…結果として、仰木彬はもちろんそれ以前のコーチ陣が作ってきた球団の野球がぶっ潰れてしまった。
それも、極めて原始的な方法を推奨する形で壊れてしまった。
近鉄は監督人事についてはかなり優秀な歴史を持っているが、よりにもよって球団で唯一にして最強のレジェンドだけはそのレールの中に乗せる事ができなかった。
…いや、まぁ…仰木監督の下で働く鈴木啓示なんて、絶対に考えられないんだけどね。
もともと投手の経験もある仰木監督は、野手監督の中では珍しいほど投手采配に口を出す人。
投手の才能に応じてすべてを捕手の責任にするほど尊重したり、投手の自尊心をボロボロに踏みつけたりするから…投手コーチとしばしば軋轢を起こす。
ちなみに、軋轢を起こしたのは、近鉄時代は権藤博で、オリックス時代は山田久志。
権藤博は監督としてのタイプこそ近いけど…(現役時代の経験「権藤・権藤・雨・権藤」から)投手を酷使することだけは絶対に許せない人だから揉めた。
山田久志はまさにオリックスに於ける鈴木啓示のような位置づけのレジェンドだけど…そんなことお構いなしに投手采配に口を出すから…結局、山田久志はオリックスを出て中日の監督をする羽目に。
だから、鈴木啓示にコーチ経験を積ませることができなかった近鉄のフロントの判断は「レジェンドを守る」と言う意味ではすごく正しい。
だから、起こるべくして起こった悲劇ではあるんだよなぁ…。
近鉄は球場や年俸、優勝を目指さない志や、野茂よりも本社から来る人を優先してメジャー行きの原因を作ったりと…フロントの落ち度で人気が出なかった部分も多い。
でも、監督選びに関しては間違ったことはしてないから、「監督の歴史」というテーマで見ると…実は最も優秀な球団の1つ。
「近鉄はそもそも、球団として黒字になりようがなかった野球チーム」
と言う話は、今度話すけど…。
近鉄は本拠地の藤井寺球場がひどく、準本拠地の日生球場もアマチュア用の球場…さらには、近鉄が優勝しても、近鉄の商売自体が近鉄沿線だけのローカルなものが多いから…あんまり、野球チームというビジネスモデルがあまり向かなかった。
特に、バブル崩壊後は沿線以外にわずかに点在していた近鉄百貨店も撤退させてしまったため、バファローズがなくなる直前は、チームが勝とうが負けようが、親会社にはあまり旨味がない状態だったわけで…。
同じ鉄道球団でも、西武・阪急・阪神は沿線以外でもビジネスを行っているから、野球チームの宣伝効果をフル活用できたけど…近鉄は…例えば、近鉄百貨店って近鉄沿線にしかないからなぁ…。(昔は東京などに進出している時期もあったけど、他の鉄道会社に比べると、沿線以外の事業が少ないのよね…)
かと言って、現在のIT企業のように、野球を通じて最新のIT技術や経営手腕をアピールしたところで、別に新しい仕事を生み出すわけでもないし…。
だから、近鉄の監督を引き受けるのは超貧乏・超劣悪な反面、近鉄自身は監督選びを間違えてない(派手に宣伝しようとすることばかりを考えずに、内部昇格でチームの方針を引き継ぎ続けた結果、勝負カンに優れた監督にあたった途端に大爆発を起こすチームになれた)から、仰木監督や梨田監督の時代には、お金持ちなチームを押しのけて強くなったし、生え抜きの名選手が何人も出てきた。
そういう意味では「監督の歴史」をキチッと語るべきチームの1つなんだよなぁ…。
ビジネスとしての野球チームと組織としての野球チーム…その両方から見てもレアケースな面白い歴史を持っている球団だから。
もっとポピュラーなところを振り返りたい人は是非、こういう本をどうぞ。