上映が終わりそうだから、フリクリオルタナ見てきた。
もう見る前からわかってると思うけど…これを見に行く人ってよっぽど本家FLCLが好きか、逆に知らんかのどっちか。
理由は主に3つ。
1、本家「FLCL」から時間が経過しすぎ
→実に18年が経過!!あまりにも時間が経ちすぎて当時は破竹の勢いだったGAINAXが経営不振に陥って、共同制作だったProduction IGにFLCLの権利を手放してしまうほど、時間の流れが経ってる。(だから、今回はIGの名前しかない)
2、本家「FLCL」の主要スタッフ、ほぼ参加してない。
→一応、鶴巻監督は監修で名前が入ってるが、当時のスタッフなし!!それどころか、総監督は本広克行という制作面ではGAINAXのアニメと接点が少ない人が総監督。(※アニオタで、庵野秀明などの有名な監督と対談した経験はあるし、サイコパスでアニメの監督を経験してるから、悪い人選ではない。ただ、FLCLの本家が当時のGAINAXのオールスター+榎戸洋司+作画もGAINAX・Production IGの精鋭という最強の布陣だっただけに、それと比べると見劣り感が酷く、どうあがいても18年前のクオリティは期待できない。逆に本家FLCLよりもアニメのスタッフロール見ただけでワクワクできる作品があったら是非教えてほしいレベル。)
3、本家が良すぎる。マニアックゆえに好きになった人は基本、思い入れが強すぎる。
→思い入れありすぎて、変わった姿を見る事自体に慎重になってしまう。
本家本家言ってるFLCLはこれね。
名作の中の名作なのでまだ見てない人は絶対見ようね。
でも、フリクリオルタナを見に行く人は、相当な覚悟をして見に行く必要がある。
本家には遠く及ばないばかりか、下手したら本家の良さなんか1ミリもない可能性を考えて見に行くだけの覚悟が必要になる。
そして、見終わった後には「どう解釈していいのか」でものすごく悩むと思う。
今回の記事は…映画を咀嚼するための補助線をぼくなりに提示するのが、目標だ。
記事を見て、もやもやしたり、疑問に思ったり、気持ちの置きどころで困ってる人…遠巻きに見ていて、内容が気になってる人に考え方や、行動指針を提供できたら嬉しく思う。
なぜガイナックスアニメの主人公は14歳以下の少年が多いのか?
本筋に入るまでちょっと長いけど、重要な問題だから聞いてね。
フリクリオルタナを語る上で実は大きな問題が、主人公が女子高生だということ。
「え!?最近のアニメってむしろ女子高生が主人公ではないアニメのほうが少ないじゃん!」
と思うの方も多いかもしれないけど…ガイナックス(以下、ガイナ)関係のアニメに限って言うとけっこう問題。
思い出してほしい。
新世紀エヴァンゲリオンも、
アベノ橋魔法☆商店街も、
FLCLも、
天元突破グレンラガンも、
全部10代前半の少年が主人公。
女の子でもないし、高校生でもないし、大人や年齢不詳のヒーローでもロボットでもない。
ピンポイントに小学生が多くて、シンジくんみたいな中学生が少しいるぐらい。
さらに、世界観やストーリーの肝になる力の源についても、間接的につながっている。
作品によって、A10神経が、前頭葉が、お前の魂で螺旋力がどうたら…色々言い回しは違う。
けど、要するに「気持ちが高ぶったら、不思議なことを起こす力が生まれる」「あなたの感情が事件を引き起こした」というのがガイナックスアニメのお決まりの流れ。
よって、気持ちの高ぶりや子どもっぽいワガママ(エゴ)を本気で信じ込める純粋さこそその人の力になる。
そのときに、世間体を気にする大人よりも、下手に空気が読める女子高生よりも、10歳のガキのほうがよかったりする。
空気読めない割に自分が思ってることや感じたことを絶対視する純粋さがあるから、ストーリー上10歳〜14歳の子どもが主人公になりやすい。
この記事を読んでる人にガイナ作品…FLCLはおろかエヴァンゲリオンも見てない人は少ないだろう。
でも、もし「ガイナ作品を見たことない人にわかりやすく」というなら…映画版のクレヨンしんちゃんが限りなく近い。
というよりも、劇場版のクレヨンしんちゃんにエヴァンゲリオンの初号機と何かをメカが出てきて、作中でSFやロボットについての論争シーンがあったり、グレンラガンで脚本を務めた中島かずきがクレしん映画の脚本書いたこともあて、すごく接点が多い。
ちなみに、クレしんに出てきたエヴァっぽいロボットの画像がこれ。細部にNERV感あるでしょ。
クレヨンしんちゃんとガイナ作品は共通している点はいくつもあるけど、ここで重要な点は
「子どもも出てくるけど、大人も出てくる。小さい頃は子どもな主人公に感情移入しながら見て、大人になると親やお姉さん役の人に感情移入して見られる。」
ところ。
エヴァンゲリオンは最たるもの。
第一話で「エヴァに乗って使徒に戦え」というゲンドウに、シンジが駄々をこね倒すシーン。
「そりゃ、突然呼ばれて自分を車ごとふっとばした使徒と戦えと言われても、嫌だよ。ロボットに乗っていようが、死ぬかもしれないようなことやりたくないよ」
と言い張るシンジくんに最初に見た時は共感する。
大人になってからもう一回見てみると
「そんなの、要求している大人は百も承知。無理とは言え、お願いしないといけない上に、駄々をこねられてしまうゲンドウは大変だよなぁ〜。シンジの気持ちはわかんなくもないが、仕事として無理なことをお願いしたりそうしないとどうにもならないとなると…そりゃドライな嫌われ役になるよね」
と、ゲンドウが共感キャラにのし上がっていく。
ガイナとかクレしん映画の魅力…それは
「通じあえてないようで、深いところで通じあえてる」
「全部はわかってあげられないし、かまってあげられないからそっけないけど、いつも見てる」
ってところ。
ストーリーラインでは子どもが子どもだからこそ純粋で強い部分と、大人のことがわかんなくて不安になる部分を行き来する面白さがガイナやクレしんにはある。
FLCLも例外じゃなくて、大人と子どものディスコミュニケーションでできてるからこそ
「わかんないけど、わかりたい」
「わからないけど、わかる気がする」
「わかってるけど、伝えてあげられない」
ところが作品の中で大きな意味を持つ。
だから、フリクリオルタナの主人公が女子高生だと知った時、映画でも予告でも説明が丁寧だった時に
「あーわかってないか、全く別物かのどっちかだわ」
「女子高生というこの世で一番、しらけとる生き物に純粋な子ども(ガキ)だからこそ表現できたことができるわけねーだろ」
というがっかり感を持った。(プログレの方は男子高校生がキーになるからまだ希望が持てた。)
わかりやすいフリクリはフリクリなのか?
おまたせしました。
ここからオルタナの話。
FLCL本家及びガイナックス作品の面白さは「わかんないことや精神や経験を経て面白くなっていく」と語ってきた。
しかし、フリクリオルタナは正反対。
というのも、作中で描かれてる高校生大学生は「わかってるようで何もわかってない」人達。
もしくは、「仮説・肌感覚としてわかっていることを自覚して行動に移す表現力と度胸が圧倒的に足りない」人達。
リアルだと思うけど、FLCLのテーマとは対極にある世界観。
形は違えど、「ディスコミュニケーションを描いている」という意味ではものすごくフリクリ。
だけど、描いてるディスコミュニケーションの種類が全く別物。
全く別物の(ディス)コミュニケーションを描いておきながら、本家や他のガイナックス作品みたいに「エゴ」を叫んで、感情を高ぶらせてすごいパワーを発揮する作品だから…「はぁ?」となる。
「女子高生や大学生の人間関係や心理的な問題ってそういうことか?」
って首を傾げてしまう。
ガイナ作品にせよ、クレしんにせよ、14歳以下のガキが言うからこそ純粋に聞こえるセリフ。
そのセリフを際立たせるパワーやストーリーが、女子高生の過程で、リアルで言われても、
「え!?それを進路希望調査を出す・出さない言ってる女子高生が言うの、すげー(演出的にも、作中の人間関係から言わせても)ダサくない?」
と冷める。
びっくりするほど主人公に共感できないことも相まって、
「これ、一貫してアホの子というか、なんも考えてないというか、不器用というか…とにかく何も知らない・何も考えてない主人公が、自分の願望押し込んでるだけでしょ!?そのエゴの迷惑加減を考えてもいい年頃のヤツが【この街も友達も好き】みたいに言われても、【それは好きなんじゃなくて知らないだけでしょ】【何も知らなかったことを自覚したのに、まだ知らないまま誰かに何かを押しつけて開き直ってるのムカつくわ】としか思えない」
ってのが、ぼくのフリクリオルタナの正直な感想。
大人ぶって背伸びしている友達のほうが正常だし、むしろそういう子のほうがまともに見えるから主人公に首を傾げた。
マイルドに「首を傾げた」とか言ったけど、…正直言うと「嫌い」「絶対友達にはなれない」と思った。
子どもの純粋さって、大人と通じ合えない部分と背中合わせ。
だからこそ、純粋さを失いだしたら純粋な方に引き返してもちっとも魅力的じゃないし、そもそも引き返す事自体が友人とか知性を失うことになる。
フリクリオルタナって、大人にならないといけないところで引き返しちゃうから
「えっと…この作品の中に出てきた物語って結局なに??」
となる。
ハルコ的な「言っちゃえ」「やっちゃえ」があれば、FLCLっぽくなることはわかったのは発見だった。
ただ、女子高生の前にハルコが現れると、それってわかった気になってるバカな女子高生がますますバカがつけあがるだけの作品に成り果てるから、見てて醜悪だった。
しかもだよ!?
変に女子高生に現実感をもたせてしまったことがますます「え?それでいいの?」と思わせるモヤモヤ感に拍車をかけた。
リアルなプロセスを経たことがかえって違和感を増幅させた。
というのも、グレンラガンを作ったメンバーはパンティー&ストッキングや、キルラキルの中では女性の主人公を据えて、「君の感情と魂が世界を変える」的なお話を描いてる。それはちゃんと面白い。
だから、「ガイナックス的な題材で女子高生の主人公は地雷」は…厳密に言うと正しくなくて、「面白くするための工夫が必要」というのが正しい。
でも、キルラキルもパンストもファンタジーとして、現実の女子高生や社会性と切り離して描いてるから、精神年齢とか、大人の存在とかを考えすぎないように作品に仕上げてる。
キルラキルの満艦飾マコなんて完全に実在し得ない人物だし、世界観もとことんバーチャルで、実在し得ない世界でのお話にすることで本来熱血やストレートと相性の悪い女性の主人公を見事にハマるように調整している。
ところが、フリクリオルタナは進路希望調査を出すほど大人にならないといけない時期の女子高生で、ある人は背伸びして大学生と付き合って、ある人は専門学校に行きたくてバイトをたくさんこなして…さんざんリアルを感じさせて、落とすところだけ実際の女子高生が絶対言わなそうなところに逃げている。
そういう時に、なんの覚悟も道理もない人がズカズカとおせっかいを焼いた挙げ句
「私は友達もこの街も大好きだから」
「だから、昨日と同じ今日が来てほしい」
とか言われても、幼さ以外の何を感じ取れと?よしんば純粋だったとしても、迷惑極まりないわ。
現に友達すげー怒ってるし、君が入ってきたことで物事が動かないどころか、クソ真面目にやってたことも全部思春期の思い出作りにされて、色々台無し。
「FLCLってそういう作品じゃん。ハルコってそういう迷惑キャラで、迷惑だろうがなんだろうが【言っちゃえ】【やっちゃえ】を言えるのがガイナ作品のお姉さんキャラだろ。」
という主張もすげーわかるんだよ。そういう意味ではフリクリだよ!!
でも、それで少年に大人になりたいと憧れを抱かせるか、
女子高生のセブンティーンをかき回した挙げ句、最も幼児退行しとるやつに友達全員が合わせる結果になるかで、描いているものがぜんぜん違うじゃん。
そこに対して、かなり説明しちゃったり、言葉にしてもわからないからこそ謎めいて聞こえるガキに助言や手助けをするのとでは、全然意味が違うやん。
そこには死ぬほどもやもやする。
いや、実際問題、脚本の人がアニメの脚本が初めてで、ほぼほぼ演劇の脚本ばっかり書いてた人だから、「話の見せ方がおかしい」「設定上、演出上はタイトにフリクリをなぞってるはずなのに、後味やテンポが最悪に悪い」となってしまってたりする。
演劇畑の脚本家のせいか、映画館で「この映画なげーな」ってくねくねしてた俺の気持ち、ちょっとわかってほしい。
テンポ悪いし、何もかもわかりやすく説明しすぎて展開が読めてしまうし…本家と比べる以前に普通にあの間延びした時間にうんざりする。
同時に、「見なきゃよかった」とも思ってないのよ。
ハルコ節やフリクリ特有の不思議な演出が見られたり、ガイナックス作品で定番になってる演出を引っ張り出してきて興奮したりする感覚が思い出せてそこはすげー楽しかった。
FLCLだと思わず、FLCLアンソロ同人アニメとして見る分にはそこそこ面白かった。
ただ、FLCLに感動した人が、本気で感動するような作品かというと…確かにFLCLのテーマに沿って描かれた作品だから見どころはあるけど、すげー面白いわけではないよ。
何が言いたいかと言うと
「期待して見に行くのはおすすめしないから、ダメ元で見に行ける人だけどうぞ」
ってこと。
無難な結論でゴメンな。
でも、本音だからもうしょうがない。
嘘ついてもしょうがないし、そもそも嘘つきたくもないんだわ。
プログレはまた別のスタッフが作ってるそうなので、実はプログレの方にこそ期待してたりする。
まぁ、脚本と総監督が一緒だから大きな期待はできないけど…作画やビジュアルのデザインをみて魅力を感じてるから少なくともアニメーションには期待してる。