【アクタージュ4巻感想】深い感情も表現する力がないと何も伝えられない

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ぼくはアクタージュというマンガが好き。
なんで好きかというと、自分がブログの中でやりたいことを的確に表現しながら、ストーリーや知識の面で深く掘り下げているからだ。

ぼくがブログ…いや、文章を人に公開し始めたのは、日常の面白かったこととか、言いたいことが日常会話よりも自由に、記録に残るように表現できるから。

文章で表現する道を選ぶ人は小説が好きとか、学術書を引用してコミュニケーション取るのが好きとか色々あるんだけど…ぼくの場合は感情表現がルーツだったから
「なるほど、ぼくのしたいことって演技のほうに近いのか」
とアクタージュで描かれている演技論が自分の表現で悩んでることや感じていることとドンピシャにハマった。

1巻の時点で他人とは思えない気持ちがあったが、4巻で描かれているテーマではもっと強くなった。

 

リアル過ぎる演技は繊細かつ深すぎて伝わらない。

役者にも色んなタイプがいる。
2,3巻で主人公の夜凪景と共演し、追いかけていた百城千代子は魅せ方には優れているものの役に深い理解や繊細な部分を掘り下げるようなタイプではなかった。
良くも悪くも、プロの役者。作品を完成させたり、キレイに魅せることに特化した人。

一方、3巻の後半から4巻以降で出てくる明神阿良也は役の感情を深く掘り下げて、表現するタイプで、主人公の夜凪景に似たタイプ。

夜凪は役になりきる技術こそ高いものの、魅せ方・役の感情を深く掘り下げてそれを伝わる魅せるところまで引っ張ってくる技術は、とても低い。

阿良也のいる劇団で最初に見せた演技では、掘り下げすぎて演技が一部の優れた人や、間近で見ている人にしか伝わらない…という問題にぶち当たる。

独特の表現だからわかりにくいと思うので、演出家で夜凪のサポート役の黒山・柊コンビの解説も見てみよう。

これ、「話してみると世界観が面白いけど、作品になると難解になって見る側の体力がないと伝わらない」という売れないけど才能がある(と言われがちな)人にありがちなことだから、なんかしらの芸で伸び悩んでいる人は10回は読むべき。

的確を求めすぎても逆に伝わらない

例えば…ご飯食べた時のコメントで、「うまい」しか言わない人いるでしょ?
アレは表現の才能がないわけ。

だから、才能がある人やそう言われがちな人は気の利かせたコメントは
「ダシが効いてておいしい」
「歯ごたえのコリコリ感がたまらない」
とか工夫を凝らしていえるように努力するわけ。

もっと才能があると
「ダシが効いてて美味しい。繊細で優しい味で、幸せな気持ちになれる。」
「歯ごたえのコリコリ感がたまらない。小気味よい音と、気持ちのいい食感が癖になっていくらでも食べられる」
と動作や気持ち込みで言えるようになっていく。

…これはこれで立派だけど、毎回毎回こういう人とご飯に行くの、うっとうしいでしょ?

だから、魅せ方や表現がわかってくると、積み上げた表現を捨てたり、省略・簡略化できるようになってくる。
「うまい」に立ち返えったり、何もいわないで笑ったり、「俺のことはいいから食べなよ」とか言って、緩急を混ぜてくるわけ。

逆に知ってる人同士で、うんちく野郎だと知られてる時には、
「なんて言えば伝わるのかわからないけど…とにかくうまいんだよ」
と語彙を崩したりできる。…もし、その人が東大出てたり、難しそうな文章書いている人だったらそういう人でも知らない食べ物…と聞いたら、その時点でそそられるよね?

その時に必要なパーツ・求められている言葉を出し入れできるようになっていくわけ。

深掘りするほど、リアルで的確な表現ができるけど…それしかない人は…まあ、うっとうしいし、人を選ぶんだよ。
「ぼくには、深いコメントを求めてるだろうから」
「ここは、逆に色々いうよりも」
というのは、日常の空気でもあるだろうし、「役」に応じてある。

こういう「空気を読む」「魅せ方を考える」って言うのは…何も考えてなさそうなやつの方が実はデキる人がおおくて、創作とか知識とか…いかにも色々やってて我の強い「才能がありそう」な人は案外できない。

一見関係ないことを書いてるようだけど…実際に、この表現をうまく使ってるマンガは実在する。
それが、「銀の匙」という鋼の錬金術師の作者である荒川弘が書いた農業マンガ。

八軒くんという農業高校では珍しい勉強がんばってて頭でっかちなで理屈っぽい人が主人公なんだけど…この主人公、農業高校で出た食べ物・新鮮な食材で作った料理には
「笑っちゃうほど美味しい」
というリアクションを多用する。

舌が肥えてるけど、自分の得意分野以外はそんなに頭良くない農業高校の生徒や先生にはできないほどのオーバーリアクションを都会育ちで普段は難しいこと考えてる八軒くんがやることで
「本当に美味しいんだな」
というのをシンプルに伝えている。

興味があったら見てみて。

アクタージュで描かれていることって、荒川弘がやってるような幅の広さであり、掘り下げなのよ。

表現って言いたいことを掘り下げる能力と、その場にあった魅せ方のセットになっている。
だから、伝わるように表現できない人はどうしても割り振られている仕事や、売れる相手が限られてしまう。

その上で、さっきの画像に続く阿良也の凄さについて見ていこう。

これ、創作や表現のあるあるだから、すごく良い図だと思う。

掘り下げる技術がすごい人は魅せる技術もそれだけ必要

それを夜凪がどう克服したか…という話をちらっとだけ紹介する。
まずはこの画像を見てほしい。

これも創作・表現のあるあるとして言えることだけど…キレイなものを作ったり、言葉をつむぐ技術があるけど、売れないような人は…だいたい「作品が好きすぎる」人なわけ。

誰かに何かを伝えたいから…とかじゃなくて、相手の気持ちがわからないけど自分の好きなことや美しいと思うものを表現できるから創作や表現をしている…という人は一定数いるんだけど、だいたい「うまい割に売れない」んだよ。そういう人は。

有り体の言葉で言うと
「ひとりよがり」
なんだよね。完成度は別にしても、他人に伝えたいという魅せ方がないとそこで止まってしまう。

元ネタの力で面白く見えて、偶然にも魅せ方も優れてる作品もあるけど…それもない人は本当に「なんだこれ」という感じになりやすい。

成果物としての完成度と、エンターテインメントとしての完成度を履き違えてる漢字になる。…逆にそんなに頭良くない人でもエンターテインメントとして完成度が高い・客と向き合ってることが伝わる人って案外売れてたりするから…そこも合わせて言いたい。

「じゃあ、売れるものを人に合わせて作ったら良くない?」
というけど…その人にしかできない深いところがないと売れないのもまた難しいところ。

だから、喜怒哀楽を鏡見てなんとなく練習した夜凪に阿良也に、
「潜ることをあきらめるな」
って怒ってる。

魅せることに特化することで、売れたり、伝わることは獲得するのは案外できるのだけど…これやっちゃうと、掘り下げる良さを持ってる人が死ぬ。

深く掘り下げている人だからこそ、言いたいことを伝えるにはそれだけの高い魅せる技術も必要になってくる。

両立ってなかなか難しく、自分自身も悩んでいるし、ぶち当たっている人も見かけるから…とてもおもしろく読めた。

演劇・映画に興味がない人でも、創作や表現、コミュニケーションの本としてもっと読んでくれる人が増えることを望む。それだけ深い話をしているから。

すごく些細な部分だけど…夜凪のTシャツのセンスが独特すぎて面白い。
1回目はそんなに考えてなかったけど、読めば読むほどそこが気になって仕方がない。

 

 

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