最近、ネット上で「スーツにリュックは非常識」みたいな問題が盛り上がってる。
そもそもリュックサックは、ビジネスで使うことを想定していません。利用シーンが異なりスーツと合わせると、かなりちぐはぐな印象です。しかもある程度、年齢の高い人はリュックサックに対して良い印象を抱いていません。
リュックサックは幼い印象を与えるアイテムでもあります。入社数年以内の若者であれば許容範囲かもしれませんが、中堅以上であれば年不相応な印象になり、垢抜けず野暮ったくなってしまいます。自分がチームリーダーで顧客の管理職と打ち合わせをする、といった機会がある人は避けるべきでしょう。
スーツにリュックは非常識、合成皮革の靴もダメ
とか、
由来をさかのぼると、リュックは登山用に作られたものであり、2010年前後までは、ビジネス向けのモデルはあまり販売されていませんでした。スマートフォンが普及し、両手がふさがらない点が支持されて一気に広がりました。
そのため、(スマホが普及する前から仕事を続けてきた)上の世代には、リュックに「登山用」とのカジュアルな印象を持ち続けている人が多く、ビジネスシーンで使っていると「仕事ではなく遊びに行くのか」と不快にさせてしまうようです。
「スーツにリュック」は本当に非常識? プロのマナー講師に聞いてみた (1/2)
マナー講師の人も言ってるとおりなんだけど…スーツにリュックが非常識なんじゃなくて、年配者や目上の人からすると、幼い印象を抱かせるから避けたほうがいいというのがどうも真相らしい。
マナーなんてその程度のものでしかないのよね…。
日本人の中でも、特に服に疎い人に「無難な回答」を教えてくれるぐらいのモンでしかなくて、別にそれが正解ってわけでもなければ、不正解ってわけでもない。
ただ、「初対面の相手が何者かわからない人に対して」は無難な格好がいいと言うだけ。
そもそも、個別の案件から言うと…うちの父なんかはサラリーマンとしては年配者の部類だけど…50代ぐらいの頃にはもうリュックだったから「年配者にはスーツでリュックはNG」というのも固定観念に過ぎなくて、「年配者や知らない人に会う時にはスーツでリュックは無難ではない」という程度の問題でしかない。
モノには程度があるから、明らかにTPOを無視している人や、勝手がわかってないことでバカにされるぐらいの人には目安になるマナーは教えたほうがいいと思う。
でも、それはリュックぐらいのことじゃないだろうに…。
そもそも…冠婚葬祭みたいに様式美を重んじる空間ならいざ知らず…ビジネスでリュック1つでケチを付けてくるような取引って何?
また、自分の時代にリュックがマナー違反だったとして、それが10年近く経過して、ビジネスでも使うようなオシャレまたはシックなリュックすら受け入れられないような頭の固い人とビジネスしてうまくいくかい?
…というわけ。
このことって履歴書とかについても言えることで…「手書きの履歴書でかつフォーマットに乗っ取るべき」という一方、奇抜な履歴書で内定もらった人のエピソードも就活してると聞こえてくる。
職場によっては奇抜な履歴書の方が逆に印象に残っていいところもあるし、逆に形式を抑えて的確に書けるところのほうがいいところもあるし…そもそも、そんなことはどうでもよくてなるべく早く履歴書をだしてスムーズに選考過程を進められるところがいい場合もある。
マナーやルールなんて「これが無難です」という一方で、常に例外も存在するし、ルールをまじめに守ったことで没個性的になったり、業界によってはぜんぜん違うこともある。
で、なんで無難なルールがこれなのかと聞くと多くの場合は
「昔からの名残りで」
「年配者やお硬い人はこれじゃないと怒るから…」
みたいな意見が多くて、合理的な理由はない。
コミュニケーションとして考えれば、嫌われない・不愉快にさせないことも合理的な理由と言えるかもしれないが…機能や実務の観点で「こうでなければならない」という理由は多くの場合、ない。
極端な話、そこまで決まったマナーがあるなら制服でも用意してマニュアルでも用意したらいい。
均一なサービスを提供したい会社・自分の会社のイメージを世の中に浸透させたいは実際にやってることなのだから。
学生服は日本人をダサくして、雑なマナー講師をはびこらせている
そもそもだ!
「スーツ着ていればマナーを守っていて礼儀正しい」
みたいな文化って言うのは、学生服の文化の延長にあると思うんだわ。
スーツも洋服なんだから、ドレスコードでもあると同時にオシャレなわけだよ。
だから、「マナーだから着る」のもごもっともなんだけど、同時に似合うものを着るとか、着こなすためにどんな見た目になるか考えて着る…という文化がないとおかしいんだよ。
もちろん、おしゃれな人にはそういう文化はある。
でも、マナーで着始めた後に、オシャレとしてスーツをどうやって着るか試行錯誤したり、それを指南したり、文化としての面白さを紹介しているものって、「マナー」としての圧力に比べると圧倒的に少ない。
そんな数少ないスーツの着こなしについて描いたマンガが「王様の仕立て屋」というマンガ。
このマンガはマナー云々の説教臭い話ではなく、TPOはもちろん見せたい印象や骨格に似合うようにスーツを仕立てる人のお話。
その中で、日本人のスーツについての考えをこういうふうに言ってる。
「スーツが精神的な領域にない」というのは、自己表現としてではなく、マナーやステータスとしてきているに過ぎない…ぐらいの意味で読み取ってもらえばいいかな。
だからぼくは
「スーツのマナー問題は、根本的には学生服と同じ感覚でスーツを着ているに過ぎないからでは?」
という言い方をしてる。
面白いのは…学生服って明治時代に文明開化の一環として導入された文化。
だから、今で言う大学生に相当する人も学生服着てた時期もあったけど…1960年ぐらいから学生服を大学生が着なくなっていく。
戦前まではむしろ学生服は(みんなが行けないような学校に行ってるという)インテリの証みたいなところがあったけど、徐々に廃止されて、ついには頭がよくて自由な高校の中には制服を着なくていい学校が出てきて…今では制服を着ている学生の方がバカか、不自由な学校に行っていて、逆に頭いい学生の方が制服を着ないぐらいになってる。
私服がオシャレで趣味な人は別として、(制服を着ないといけない合理的な理由や、制服を着ている事自体のステータスはどんどんなくなっていくため、)オシャレじゃない人にとってのファッションは「正しく着れば怒られない」というTPOを守るツールに過ぎなくなっていく。
ましてや、制服をオシャレに着ることが、不良や学校が荒れている象徴になった時代もあるため、今のアラサー以下からすると…制服は、TPOを守る・周囲に怒られないようにする以外の意味があんまりなくなってしまった。
特に、学校と部活で大忙しの学生生活をしてきた人は洋服で自己表現する技術が身につかないまま、みっちりと制服ばかりを押し付けられたために、スーツもまた「TPOで着てる」ぐらいのものでしかなくなってしまった。
一部の進学校のヤツ・帰宅部でおしゃれして遊んでた人は別として、一般的な学生はスーツはおろか私服まで含めて「洋服で自己表現する」という文化をそもそも、持ち合わせてないし…。
「スーツが精神的な領域にない」
のはそういう理由。
同時に、マナー講師みたいな「無難なことを教えてくれる職業」が健在なのは、そもそも服を自己表現として着ていないから。
で、無難なこととは、頭が堅くて古いことしか知らない人に合わせることだから…当然今を生きてる人にしてみるとダサい。
ダサいぐらいの方が無難といわれて「TPO」だからとやる。
不幸の連鎖でしかないよね…こんなの。
本当は、相手によっても変えられるし、上辺だけの問題なのに、いつまでも学生の時と同じ発想で「どれが無難か」でビクビクしながら服に着られてるなんて…。
表現に変えられる人ほど本当の達人
極端な話、子どもを(気持ち悪いほどゲームやマンガに没頭する)キモオタにしたくない人は洋服で自己表現する面白さを伝えたらいい。
TPOとして服を着る以外のことで、自分を表現したり、褒められたりする時間を作ったら身なりに気を使うようになるから、オタクにはなるかもしれないけど、キモオタにはならないから。
オタク的なことって、「プライベートの時間でやるから楽しい」というのもある。
だけど、カードゲームやゲームのスキルを自分だけのもの・自分だけの表現として使いこなす面白さがあるから、キモチ悪いオタクになっちゃう。
見た目についてのよしあしが減点法の論理でしか考えられなくなってるから、加点法になり得る自己表現としての選択肢を提示して行ったらいい。
高い服とか派手な服とかそういうのを着ればいいって話じゃなくてもっと、理論や精神性や自分にあった形を見つけられるようにしていくことを考えていけばいい。
ファッションについてそういう面白さを教えてくれたマンガもあるので、最後に紹介しておく。
これも、王様の仕立て屋も言ってることは同じなんだよ。
TPOを減点法で考えているのではなく、むしろ自己表現でかつ加点法 として捉える面白さとして捉えて、それをどうやって実現するかを服や骨格の構造を学びながら逆算していく。
その面白さは制服やスーツの文化とはまた違った世界だから多くの人に読んでほしいよ。