やぎぺー氏の結婚報告が薄っぺらすぎて俺の中で話題に

言葉が軽くて薄い人を「軽薄」なんて言う。
でも、軽くて薄いことが称賛されるのはスマホやテレビと言った電子家電ぐらいなもの。
ましてや、結婚の報告なんて一世一代のイベントともなれば、それ相応の一世一代の文章が読みたいものだ。

そんな結婚報告に、私の想像を遥かに超えた薄っぺらい文章を書いてきた人気ブロガーがいたから、ご紹介したい。

まずはツッコミを入れながら検証していこう。

そもそも結婚したくなかったらしい。

やぎぺーは元々、したくないことリストを作っていて、結婚しないをリストの一番最初に掲げているほど結婚したくなかったんだって。

八木仁平が死ぬまでにやりたい100のこと、死んでもやりたくない100のこと

なんでそんなこと思ってるとすると、こういう事情らしい。

僕の結婚に対するイメージは「守り」でした。

守るものが増えて、身軽さが失われて、人生を収束させていくイメージを結婚に持っていました。

特に人生でやりたいことがない人が、結婚という暇つぶしをするものだと思っていました。

「結婚=守りに入って自分が死んでしまう」みたいな感じです。
結婚なんか絶対したくないと思っていたけれど、今日結婚しました

これも、ずいぶん失礼なコメントだよね。
やりたいことがないやつがいたとして何が悪い!?
そういう人に結婚して子どもや妻を通じて生きがいができたらそれはそれでいいじゃない!?

いや、やぎぺーくんと同じくコンビニのバイトが続かないタイプの男だから「やりたいことがないのはダサい」と思う種類の人間だし、子どものことが第一になりすぎて論理性がぐちゃぐちゃな人間見ているとうんざりする人間だから気持ちはわかるよ?

でも、本当にダサいのはその人のやりたいことが子どもだろうが、趣味だろうが仕事だろうと、それを誰かを不幸にするような犯罪的なものじゃない限りは応援しようとできない心の狭さなんじゃないかな??

結婚してやりたいことができる・人生の目標ができる。いいことじゃないの??
それを見下して「やりたくないことリストの1つ目が結婚です」は流石に意味わかんない。

ただ、そんなやぎぺーくんもおとなになって結婚するようになったらしいので、
「昔のお前ダサい上に、考えてることしょぼいな」
ぐらいで留めておこう。

でもそれは全然違いましたね。

今日妻と結婚したことは「攻め」るためです。

自分にできない家事全般をサポートしてくれたり、体にいいご飯を作ってくれたり、仕事とのメリハリをつけるためにリラックスした時間をくれるのが妻です。

つまり僕がより攻めていくための基盤を支えてくれる存在。

実際に一ヶ月前から同居を始めていて、帰る場所が生まれて精神的に強くなり仕事にもいい影響が出ている気がします。

うっす!!

0.03ミリぐらいの薄っぺらさ!!

いやさ…どこが薄いかわかんないこのブログの読者はいないと思うけど、敢えて説明させて。
まず、こんなことって実家ぐらしの…まだまだ女性が家事をする世代の人がいるような家ならよくあることであって、別に結婚じゃなくてもよくね?って話だよね??

だから、「できるだけ実家とは仲良くしましょう」「地元で働きましょう」という方がまだわかる。
女性の方がバリバリ働く世代が増えていくからこれからの時代はわかんないけど、少なくとも俺ら世代までなら正しいよ。

次に、同棲1ヶ月で結婚することを記事にするって言うのが
「1ヶ月ぐらいなら逆に相手のいいところとか、暮らしの楽しいことのほうがうつるから、1ヶ月ごときで結婚は攻めだ!妻のサポートと癒やしがあるから攻めの結婚をするんだ」
ってなんか、言葉に出すのも薄いわ。

まだ言いたいことがあるが、これメインだから次のところで言及しよう。

旦那のスペック紹介も薄いけど、妻のスペック紹介もかなり薄い

↑このスペックで人間の何がわかるんだよ!?

これで興味を持つのがもうすでに薄い。0.02ミリぐらい薄さ。ペン先ほどの薄さで生きてるんじゃないよって気持ち。

で、馴れ初めがこの数行。

連絡を取って一週間後くらいの2月28日に渋谷の居酒屋で会いました。

写真と変わらず最高に可愛くて、最高に凛としていて「あぁ僕はこの人と付き合うために今まで生きてきたんだな」と思いました。

そのまま2人で3軒飲み屋をはしごして、日付の変わった3月1日に僕が「付き合おう!」と言いました。

出会って6時間くらいで付き合い始めました。

写真と変わらずっていうのが、なんなんだろうね?
「フォトショで修正してない」
ってこと?仕草や立ちふるまいと合わせて写真よりかわいいとか、なんかねーの!?

凛としていてっていう表現もものすごくふわっとしてる。

「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」なんて有名な語句があるけど、そういうのないの!?

いや、彼なりの褒め言葉がこれか。

可愛いし、料理も上手いし、センスも良いし、気遣いができるし、僕が苦手な電話を代わりにしてくれるし、まぁちょっとメンタルが弱くて落ち込むことが多いけれど、本当に妻のことが好きです。

運命の人とかそういう感覚はないのですが、ずっと幸せにしていくと決断しました。

これからもこの幸せを当たり前にせずに、大切にしていきます。

かわいい、料理うまい、センスがいい、気遣いできる…なんか0.01ミリの薄さ。薄すぎて強度が心配になるレベル。

自分の中から出てきた感情がちっとも言葉に乗っかってない。
そんなの、その人のSNS知ってたら誰でも言える程度の言葉でしかないんだもん。

現場から出て言葉とは思えない。
エア彼女と言われても信じちゃうほど薄い。

誰でも言える、ネット経由でも偽造できるそんな言葉ばっかり。
これ彼女が読んでるんでしょ!?…俺なら死んでもやらない。それこそダサいし。

最後は結婚祝いをくださいという、投げ銭募集のリンクを貼っておしまい。
なんやねんこれ!?

ちっともエモくない。

本当にエモい文章をきみに…

ここまで読んだ人で、僕の文章読んだことない人は
「人の幸せな報告にケチつけて何が楽しいんですか!?」
みたいに言うと思うだろうけど…俺は好きな子に対して、やぎぺーくんの比にならないほどエモい文章が書けるからこう言うの書いてるだけだからね??

今からそれを見せていくけど…僕はこの文章については
僕が死んだらプリントアウトして亡骸と一緒に焼いて
と言ってるほどの自信作だから心して読んで。

こんなにアフタヌーンティーが似合う女性をぼくは彼女以外に知らない。

10分遅れで待ち合わせしてた築地駅のデニーズへ行くと、彼女が優雅に紅茶を飲んでいた。

ちゃんとヒールを履いて、小奇麗にして、椎名林檎っぽく見えるメイクをして、優雅にアフタヌーンティーを飲む姿に「え?デニーズってこんなに優雅に楽しめるお店だったか?」と、見蕩れてしまうほど愛らしく美しかった。

淑女という言葉が似合うような優雅さと柔らかさが「ああ、彼女に片思いしててよかった」とぼくのハートは再びグラグラと揺らされてしまった。

オフラインでは1年半ぶりの再会だけど、
「あーやっぱり好きな人だ。ひと目見ただけで想像超えてきちゃうぐらいにすごい人だ」
と、自分の好きを再確認させられた。
ルークスカイラウンジに式場見学に行ってきた(完全レポート編)

きれいとか美人とかってその人の性能であって努力を表現したものじゃないのよ…。

「キレイにおめかしして」
なら、その人の努力とかキチッとその日を大事にしてくれたことを読者に伝える表現になるけど、キレイとか美人ってすっぴんでもええわけやん?だから、女性を褒める時には僕は使いたくない。

デニーズで紅茶を飲む姿が優雅に見える人って意外といないよ!?
テーブルもお茶もけして決して優雅とは程遠いけど、その人の雰囲気がないと伝わらないことじゃん??

知りたいのはその人の顔写真でも、スペックでも自分の思いと相手がどんな人か、どんな雰囲気を持ってるかでしょ!?

式場に行くに当たり、名字で呼び合うのはよそよそしいから、『下の名前で呼び合うかどうか…』という話になった。
そのために、お互いで名前を呼び合う練習を少しだけするのが、意外とうまくいかない。

ここではペンネームが三沢文也なので、この名前を使って説明する。
三沢文也という名前だから、「フミ」とか、「フミくん」と呼べばいいんじゃないかな?と提案してみた。

説明のために、仮に彼女を「後藤あい」という名前だとすると…
「あい」とか「あいちゃん」とか呼べば、比較的恥ずかしくもないし違和感もないんじゃないか?と加えて提案。

ただ…恥ずかしがり屋な彼女は、あまりにも恥ずかしがりすぎて、余計に恥ずかしくなる呼び方でぼくを呼んだ。
「フミさん(照)」
つられてぼくも…
「あいさん(大照れ)」
…下の名前をフランクに呼び合う打ち合わせのはずが、お互いの名前をさん付けで呼び合うことで、かえって文学的で、硬派なカップルのような生々しさが出て、二人して照れてしまった

(彼女はどうなのかわからないけど、)俺の女性経験上ここまでお互いが照れあってしまうと、この後えっちすることに運びになるぐらいに変な空気。
それに気づいて、更に恥ずかしくなりながら「やめやめ」とリセット。

デニーズに入った途端に、一人だけ似つかわしくないほど優雅な貴婦人が、下の名前で呼びあおうとした途端に、この二人で照れ合うの、面白いし、甘くないですか!?

「下の名前が恥ずかしくて呼べない」なんてエピソード自体はどこにでもあるベタなんだよ?
でも、その人がびっくりするほど優雅で、これから結婚式場の見学に行くともなれば、このやり取り自体が艶っぽくなりません?

この人といると、知れば知るほどキュンとくる時間が増えていく感覚を誰かに分けてあげたいし、なによりも相手に伝えたい…そう思わないの??

結婚報告と聞いて期待したのはこういう具体性であり、彼女に対しての強い思いから絞り出された文章だよ!
ただ、びっくりするほどありふれた言葉しか出てこなかった時に、その程度のものは愛じゃないって思う俺の気持ち少しは分かってもらえたかな?

それだけ誰かを好きになるってエモいことなわけよ。

一緒に式場見学しといてアレなんだが、ぼくは彼女に関してはどこまでも清い恋愛したいと思ってる。
相手に彼氏いるうちは片思いだといい続けてるし、その結果としてコミュニケーションがフランクにならなくても、それは「そういうピュアさまでかわいさとして楽しもう」と決めてる。

彼女への感情はエゴやリビドーを突き抜けて慈しみと尊敬の感情まで行ってるから、「自分のものにしたい」という感情よりかは「長くお互いの人生に関わり続けていたい」と思ってる。
だから、無理させたくないし、強要もしないで、時間をかけてじっくりコトコト行く。その結果として他の誰かと結びついても彼女が幸せになってくれるならいいかなぁ〜と同時に思ってる。
もちろん、フリーになったり、耐えきれないほど辛そうになったらガッツリ行くけど。

ちなみに、【慈しみの感情であなたを見てる】という話を彼女にしたら、
「慈しみなんて言葉、使わないよ。僧侶じゃないんだから」
とぼくのバカバカしくなるほどの好きさを二人で笑い合ってた。

俺ね…この人に対しては、Twitterで少し挫けている投稿しても心配になるほど溺愛しているんだよ。

「ご心配をおかけしました」
なんて言葉がほしいわけではもちろんなくて、「彼女には幸せになってほしい」と純真に願っているから、気になってしまうわけ。

そういう感情を色んな経緯を省いて出てきた言葉が「慈しみ」ってワードなんだよ。

僧侶か皇族でもない限り使わない言葉だからこそ、こういう気持ちを相手が聞くと「(本人がどう思うかは別として)愛されてる」とは認識するよね?
好きか嫌いかは別としても、本当に好きな相手のことを書こうとすると、これぐらい自分で絞り出した言葉が出てくるものよ?溢れ出すから。

生き方の違いの問題だから、別にやぎぺーくんの事はいいよ。
ただ、好きな人・特別な人には発する言葉1つ1つがラブレターでありたいとぼくは願って生きてる。

実際、その努力は報われて「好きなんだね」「彼女に会いたい」と言ってくれる人がいた。

アニメ映画の監督さんはこんなツイートをしているが、ぼくは近い気持ちであの記事を書いた。

ぼくは結婚式場の記事を書いた。
でも、そんなことはおまけで「彼女」の記事なんだよ。

1日ぼくの記事に登場してくれた彼女の魅力や雰囲気が伝わって、会いたいと思ってくれたことが一番幸せ。
実際に式場見学に行ってくれた人もいてそれもそれですごく嬉しいけど、そんなことよりも嬉しかったのは彼女の魅力を100%出し切った上で、ぼくの感情を120%記事を出せたこと。

好きってそういうことだろうよ!

マウントとか難癖だと思う人はご自由にどうぞ。
ただ、溢れ出した感情を言葉にできて、同じ感情で人々を揺さぶれる…そういう生き方に美徳を感じる人にキチッと伝われ!!

そういう人でありたい、そういう人と一緒に生きていきたい。
それが伝わってくれたらいいよ。

まあ、こういうめんどくさいやつだから結婚できないんだけどねぇ♨

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 彼氏の覚悟を決めさせるには、結婚式場の見学を一緒にするのが一番早い(事前予約編)
この記事、もう前半時点でこの時点でもうエモいです。

ルークスカイラウンジに式場見学に行ってきた(完全レポート編)
ここから抜粋しました。これが後編。

 

 

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