最近、マンガPARKっていうアプリをインストールした。
白泉社という大人向けのマンガに強い会社がやってるマンガアプリなのだが…読めるラインナップの量が桁違いに多くてすごく満足してる。
中でも、ぼくが気に入ったのは「ど根性ガエルの娘」というマンガ。
これねぇ…1,2巻と3巻以降で編集者どころか出版社が違うからまるでカラーが違う作品になってる。
1,2巻は角川が求めているものを「書かせた」内容だから、無理矢理いい話に持っていってるところがあって
「よくこれだけ壮絶な話をいい話っぽくまとめているなぁ」
という伝わりづらい凄みがある。
逆に3巻以降は、大人向けに強い白泉社だから、虐待親を持った娘の目線という死ぬほど生々しいマンガになっている。
毒親は人間だと思わないほうが腹が立たない
ぼくも毒親経験者で自分のことを神だと思ってる(生誕地を40年ぶりに訪問する際には「聖地」だと言ってはばからなかった)ような親で、それはそれでひどいと思うよ?
でも、この人は父親がやってることが毒親とかパワハラとか通り越した虐待で、母親もあまりにひどい暮らしで途中から毒親っぽくなってしまって滅入った経験の持ち主だから…ぼくよりひどい。
そんなDVスレスレの父親と結婚した母親は、こうやって言ってる。
これ、うちの親父も似たようなことを言ってた。
「アレ(母)は5歳児だから。」
これを実際に子どもができるかどうかは別として、夫婦生活に悩んだ人がたどり着く境地、親子関係で悩んでいる子どもを持っている親の最終的な言葉はこれになるんだな…っておもった。
そして、このマンガのすごいところはいい話っぽく締めくくっているところ。
ぜひ、うちの父にもそうして欲しいけど…わかんない。
うちはさ…ぼくも発達障害で、親に苦労かけてる部分あるし、親のおかげで得な体験ができたところもあるから全部が全部悪いとも思ってない。
それでも、毒親になりたくないし、被害に遭っている人を救いたい気持ちがあって、毒親を的確に書き出した作品としてど根性ガエルの娘は紹介することで、毒親(及び被害者)への警鐘・毒親の傾向と対策を語りたいと思った。
毒親の厄介さは「愛情はある」ってこと。
ぼくも100%母が悪いとも思ってないし、愛情のない親だとも思ってない。
ぼくが発達障害持っててなおかつ変わり者だったからそのことで苦労をかけたとは思っている。
ただ、人生のターニングポイントでアホみたいに足を引っ張る母親だったから…本当に辛かった。
受験に落ちることはぼくにとっては悔しいのではなく、「母親という戦後処理」をしないといけないことが辛かった。
子どもに入れ込みすぎるあまり勝手に期待して、勝手に悔しがって…悔しがるだけではなく怒鳴り散らして、滑り止めで合格した学校は「トイレが汚いからダメだ」とかよくわかんない難癖をひたすらつけられた。
受験みたいな大きな失敗だけじゃないんだよ。
少年野球でヒットを打たないと、
「お前とイチローは見に行っても私の前でヒットを打たない。」
とか平気で言う。
こういう人をダイエーホークスの監督時代に生卵を投げつけられた王貞治は
「強いチームだったらそんな事にならない。生卵を投げつけるほど熱くなってるファンを、そういう方向に熱狂させてしまった俺達が悪い。」
というオトナの対応をしている。
子どものぼくはそんなこと考えられなかった。
それを「落ち度」として指摘されたらごもっともなのだが…一貫してぼくは勝負に負けることや、結果が出せないことよりも親に怒鳴り散らされることが一番めんどくさかった。
「どこどこの家の子は成功している」
これを少年野球でも、中学校でも言われたけど…それはお前が一番そういう親をバカにしてたからだぞ?
忘れられないエピソードがある。
ぼくの高校1年時代の出身校は滝川第二高等学校って言うんだ。
岡崎慎司など日本代表クラスのサッカー選手を輩出した名門校であり、サッカー以外にもプロゴルファーやプロ野球選手、ブラスバンドの達人もいた。
実際、クラスメイトにサッカー途上国まで行ってプロ選手を続けたサッカー選手もいるし、プロゴルファーになったやつも居た。
そういうクラスだったから、親同士でクラスで集まる時には他の親が熱心。それに母は引いて不愉快だったことをあれこれ愚痴ってた。
これは、ニュータウンの中学校でも同じことで、他の家はびっくりするほど熱心な中で、母は「塾なんか行かなくても勉強できるでしょ」の一点張りで塾に行ってること自体に小姑のように文句をつけ続けた。
「塾に行く金をかけたくなかったのでは?」
と言われそうだが、そういう話じゃない。
ぼくの回転寿司チェーンでバイトしてた時のエピソードもある。
ぼくは大学生になってアルバイトをした。
学生だから、自転車でどうにか通える…当時あった回転寿司チェーンでアルバイトしてた。
回転寿司チェーンから帰るのは夜遅いとか、寿司屋の酢の匂いが臭いとか、散々言われた。
で、「健康のために早朝のアルバイトをしろ」と言われて、セブンイレブンのバイトをさんざん提案されて、結局やったけど…死ぬほど向かなかった。
また、向いてないことについてなんの責任も感じなかったし、ぼくが悪いことにされた。
うちの親と、ど根性ガエルの娘は毒親のタイプとして少し違う。
しかしながら、ちっとも話を聞いてなくて無責任に理想を押しつけて自分がいい親であるという欲求を満たしたがるところはそっくり。
それを端的に表したコマもちゃんとある。
母との会話は自由記述の作文ではなく、正解が求められたテストだった。
うちの母は気分屋だったから、途中で正解するのを諦めたけど…それでもルーティーンにできるところはルーティーン化して対応していたので、このやり取りはすごく気持ちがわかった。
毒親っていい親でありたいと思ってやっていることもあるから、愛情はあるんだよ。
でもさぁ…本当の良い親は子どもの適正とか、家族内の空気まで汲み取った提案をしてくれるけど…毒親は「善意の押し売り」なんだ。
向いてるからやるべきとか、やるからには全面的に応援するとかそういうことじゃなくて…鳩に餌をやるぐらいの感覚でしか子育てできないんだよ。
都会の鳩ってさぁ…餌をもらうことに馴れすぎて、田舎の鳩のように自分で餌を取れなくなって餌をくれなくなると滅びるんだって。
だから、鳩に餌をやる人は責任を持って育てるか、やらないかの2択であるべきだけど…毒親って自分が与えたいものを与えて結果的には鳩を滅ぼしてしまうような人達なんだ。
そうやって自己肯定感を削ぎ落とされていって、最後はふさぎ込む。
そもそも、当たり前なんだよなぁ…。
家で毎日1時間は怒鳴り合ってる家庭で育ったぼくが、他の家の子より勉強できるわけないんだよ。
それなのに、お前は何期待しちゃってんの?
8割以上塾に通っている生徒しかいない学校で、塾にも通わず自主勉強だけで特に発達も早くないぼくに鼻高々に自慢できる成績をとってこい…ってそれ本気で言ってんの?
と心の底から思う。
そうやって、毒親の言うことに本気で悩んでいる時に、もう片方の親が言えることって、
「アレは5歳児ですから、まともな発言を期待しないでください」
という父の言葉か、
「アレはペットだから腹を立てるのが間違ってる。私が責任持って最後まで育てる。」
という言葉しかないんだよ。(重要な画像なのでもう一回貼っておきます)
「人を人とも思わない」
というのは不道徳なことに思われるかもしれないけど…ぼくはお前の10倍頭のいい父から薫陶を受けた人間だから…15のときにはもうお前がもし人間ならおかしいとは思ってたんだよ。
流石にでっかい犬だとか、成長が止まった5歳児だとまで思えなかった。
それを実践できるほど大人びた人は少ないよ?でも、毒親を子どもかペットだと思うのは1つの真理かもしれない…