祖母の写真は載っけないけど…話だけ。
ぼくにとっても歴史的にも忘れちゃいけない話が多く、また年配の方とお話する機会がある人に見てほしいからどうか掲載していく。
プロフィールについてはプライバシーに配慮して
「戦前に、長野県の農家に生まれた人」
というふんわりした情報だけ書いておく。
世代的には、「この世界の片隅に」のすずさんが、戦中には嫁いでいたけど、祖母は国民学校の学生だったというぐらい。
尋常小学校・国民学校という名前がサラッと出てくる世代。
今となっては聞き慣れない言葉になっているけど、小学校がそう呼ばれた時代に生きた人の話。
それを語り継げるうちに聞いておかねば…と思い祖母とじっくり話す時間を作った。
そもそものきっかけはポツンと一軒家
朝日放送で今も放送されている「ポツンと一軒家」という番組がある。
この番組はアマゾンプライムビデオでも見られるから是非見てほしい。
何が面白いかはその人によって異なるが…歴史好きな人からすると、
「ポツンと一軒家に住むに至った経緯を、その人や祖先についての歴史もインタビューしてたどっていくのが面白い」
という魅力がある。
築400年の山奥の古民家が、徒歩の時代には街道沿いであったり。
街に縁もゆかりもない人が住んでいて、経緯をたどっていくとその人はヒッピーで、国内外色々渡り歩いて最後にポツンと一軒家にたどり着いた人だったり。
ヒッピーぐらい誰でも知ってそうだが…ヒッピーが実際にいた純喫茶やヒッピーのその後までしっかり追いかけた番組はなかなかレアなので、みていて「こんな世界もあるのか」と感激した。
同時に、自分の祖父母からそういう話をきちっと聞いたことなかったからルーツについて色々聞いてみたいと思った。
祖母「戦後の東京に行ったけど、当時は長野の方が豊かでがっかりした」
小学校の時に「戦争体験について聞いてこい」と言われて聞きに行くのだが…本当に面白いのはそこではない。
そのことにポツンと一軒家で気づいたので、自分の中で聞きたいことと合わせてより的確な質問をもらいたくて、ツイッターで質問を募った。
すると、こんな質問が来た。
「当時のライフラインや暮らしぶりはどうなってましたか?電気ガス水道は通ってましたか?」
祖母に聞くと、かなり予想外の答えが来た。
祖母によると、戦中〜戦後十数年にかけて、長野県と東京都の文明や治安は一時期逆転したらしい。
というのも、
・長野県は疎開先で空襲も少なく
・政府から徴収されてしまうお米以外にも長野では色んなモノを作ってた
・山や川で食糧を確保できた
からそこまで食糧不足にならなかったそうだ。
また、戦後には一時、炭水化物すら支給されずに「兵隊さん向けの缶詰め」が支給された時期もあったそうだが…炭水化物がそもそもなかった都民と違って、長野県ではそれほど困らなかったらしい。
周囲の家でもそばも大麦も作っていて、家畜も牛・ヤギ・鶏・うさぎ(他の家では牛の代わりに馬。牛も荷物用の種類)が飼われていたから世間一般の人がイメージする戦時中の暮らしとは少し違うそうだ。
東京の方があまり進んでなかったことを知ったのは、学生時代の修学旅行や大人になってからの移住がきっかけらしい。
学生時代の修学旅行には浮浪児に食べ物をねだられたり、ひったくりに気をつけろと言われて
「東京に憧れてたのにがっかりした」
という今では考えられない証言ももらった。
どちらかと言うと、祖母の暮らしは百姓貴族に近い
祖母の時代の農家の暮らしについては、荒川弘さんが描く「百姓貴族」や「銀の匙」とそんなに変わってない。(むしろ戦争体験よりも農家の話がメインになりがち)
親も当人も進学なんか考えてなく、家の手伝いをさせられて朝学校に行く前に牛や鶏にエサをあげるような生活をしてたそうだ。
詳しいことは百姓貴族を読んでもらえると、かなり伝わると思う。
ぼくは孫でありながら、祖母が農業について饒舌に話している姿を、30年目にしてはじめてみた。
子どもの頃にその面白さがわかったかは別にしても、先祖の生活や以外な一面を聞き出す能力がなかったり、教育の現場でいい質問をするような問題を作ってもらえなかったのは、今思えば悲しいことだ。
この年になってそれでは悔いが残ると祖母に色々聞けて本当に良かった。
同時に、祖母の話を聞いているうちに、(当初予想してた)戦争や日本昔ばなしのようなものではなく、農家の暮らしの話が中心になったのはとても面白かった。
「好きなアーティストがいて当たり前」は戦後の話
ツイッターから寄せられた質問がもう1つあった。
「好きな音楽はありますか?」
というものがあった。
これは、ぼくも「そう言えば、聞いたことがない」と思って質問した。
祖母によると
「そもそも、レコードのある家に聞きに行く時代だったから、流行を追いかけるとか追いかけないとかそういう時代じゃなかった」
そうな。
今のお金のない子はとりあえず、スマホだけは持ってて、YouTubeや無料配信アプリで音楽を聞くのが一番安い娯楽。だから、好きなアーティストがいて当たり前。
それ以前の世代ならテレビやラジカセを買うのが流行りだったからここも好きなアーティストがいて当たり前。
しかし、戦前・戦中世代だと…そもそも音楽を頻繁に聞く文化がなかったらしい。
これを聞いてしまうと…いかに現代人は相当資本主義に毒されてることがわかる。
でも、言われないと気づかないところが面白い。
…そんな祖母の話を祖母が話せなくなる前にキチッと聞けてよかった。
本当はモノで残ればいいのだが、子どもの頃に衝撃を受けた「(国民学校時代)半紙並みに薄い卒業証書」など歴史的資料も色々残しておいてくれたらしいのだが、歴史に興味があったのはぼくだけだったため、そういうモノは伝承されずに捨てられてしまった。
言葉として残しておけるものだけでも、せめて忘れないうちに聞き出し、語り継いでおきたいものだ。
ぼくはそう思っているものの、ネットを見てるとここ10年20年の価値観を絶対視する人が多すぎる。
確かに過去を研究することは、すぐにはお金にも教育にもならないかもしれないし、家にそんなモノ置いといても価値を見出す人は少ないかもしれない。
でも、間違いなく視野を広げ、見えない世界を見せてくれるから大事に大事にしておきたい。
もし、こういうことを望んでいる高齢者の方を知っていたら紹介してほしい。
いくらでも記事にして未来に残るようにしたい。
内容や希望次第なら書き起こして電子書籍にだってするので一報あればほしい。