なぜ「オタクVSフェミニスト」の対立構造で争いが続くのか?

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最近、ツイッター見てもネットニュース見てもこの論争ばっかりやってるので、ぼくなりの意見をまとめさせてください。

ぼくに言わせるとキーワードは2つ。
1つは、「保守主義」で、もう1つは「父性主義」。
もうちょっと噛み砕いた言い方…それこそ、高卒でも中学生でもわかる言い方をしたほうがいいね。

オタクって突き詰めるとどういう人達なんだろうか?

まず、オタクのコンセンサスを突き詰めていくと「好みは違えど、良いルールはみんなで守っていくべき」というスタンスなんだ。
わかりやすいのはコミケの文化で、
「コミケで扱われている作品の好き嫌いはみんなの中にあっても、コミケが続いていくためのルールは年齢性別出展者参加者問わずみんな守ろう」
というスタンスなんだ。

これは秋葉原なんかもそうで、年代ごとに新しいタイプのオタクが入ってくるから、元々いた人は秋葉原から足が遠のいたり、自分の年代ほど好きじゃなくなる時期もくる。
でも、自分が好きだったものがごっそりなくなるわけではなく、多様性を帯びていく中で自分の好きなものの割合が減るだけ。
だから、歳を重ねていくと
自分の嫌いなところにはどうせ行かないだけだから、自分の前から好きだったところと新しくできたものをうまく利用して楽しんでいけばいい」というスタンスに変わっていく。

オタク的な多様性は年代によって変わるので、オタク同士で「オタクはもう死んだ」とか言うことはあるのだが…それでも長い目で見ると、お互いのいい距離感を見つけて楽しむ方向を模索していく。
対立が絶えない集団のように見えて、世代や文化圏の多少の違いだと気づくと譲れない部分以外はうまく折り合いをつけながら共存していく。

 

秋葉原やコミケに来ないタイプのオタク…それこそ、ジャニーズだったり、野球だったりもそうで、「細かい部分好き嫌いが一致しなくても続いていくために作られてきたルールはみんなで守ろう」という大筋のコンセンサスはある。
それを破壊する人はにわかだろうが、老害だろうが、運営者だろうと、クリエイターだろうと許されない。(もちろん、男女は関係ない)

 

堀江貴文さんは野球やジャニーズ、コミケの話を持ち出して「オタクは保守的なんです」「オタクってめんどくさい」と言っている。これはある意味正しい。
堀江さんぐらい頭がいい人になるともっとマネタイズして続けられる仕組みにする時に、それぞれのジャンルのオタクが障壁になる、批判されて炎上することがかなり煩わしく、「もうできあがった仕組みについては新しく作らない」と言っている。(野球の話は別の動画だけど、演劇やコミケの話はここで見られます)

オタクが保守的なところは同意する。
しかし、既存のルールや伝統に対して保守的だからこそ、ルールを守っている人は受け入れられるし、ルールをうまく利用してお金儲けする人や人気者になる人も多い。
同じIT企業でも、横浜ベイスターズを保有している横浜DeNAベイスターズは、球団が持っている70年の歴史を積極的に掘り起こして球団運営に活用している。

実際、DeNAベイスターズの球団経営は他の成功例を取り入れながら新しいこともしている。

まず、地元の球団として認知されるために、横浜中の学校にベイスターズの防止を配るところからはじめ、ドラフトでも地元の学校を出た選手をしっかり獲得。

野球オタクも大満足な他の球団の成功例を取り入れた球団経営はファンも増やし、チームも強くしていく。

DeNAになって変わったと感じる大きなカラーとしては、YouTubeに力を入れている点だ。
横浜以外でもYouTubeに力を入れて、バックヤードやインタビューを積極的に上げている球団は多い。

でも、横浜の場合は、70年分の歴史を掘り起こしたり、地元のアーティストや何十年も追いかけて続けてきた記者、当時を知るOBなど、様々な人を動画に出している。

人気選手の大記録や引退についての動画も多く出していて、特にすごいのは三浦大輔引退セレモニーの動画。
そもそもこんな動画をキチッと作る事自体が、球団経営がないがしろなTBS時代の横浜なら考えられないこと。
それどころか、ここまで手の込んだ動画を選手のために作るのは12球団の中でも横浜だけ!!

ファンや地域、ファンが大事にしてきた選手や伝統…これらに敬意を払った球団経営をしてきたから、横浜DeNAベイスターズは、今やDeNAの中でも大事な収益源になるほど成功している。

オタクは根本的なところが保守的でそれを守らない人は排除する一方、根っこにある仕組みが理解されたり、理念が共有できていると感じたことはどんどん応援する。
だからこそ堀江さんみたいな過激な人には不便な存在に思えるが、オタクがついた文化は儲かるし長続きもする。

 

「フェミニストとは突き詰めるとなにか?」の前に

ここで気をつけてほしいのは、日本でなにかの対立をしているフェミニストの多くは、(本人たちはそう思ってないけど、)ラディカル・フェミニズムと呼ばれる思想を持つ人達だ。

フェミニズムにもリベラルフェミニズムとはかなり違う。
そもそも、リベラルフェミニズムの方は男女の保暴動性を法的手段を通して解決していく思想。

日本では「フェミニスト=表現規制」というイメージが強いが、リベラルフェミニズムで有名な著書の中には「ポルノグラフィ防衛論」という行き過ぎたポルノ規制、「女性が不快ならセクハラ」という風潮に物を申しているものもある。

ここが、各種オタクたちと根本的に違うところで、フェミニストには共通したコンセンサスがほぼない!
根本的なところが「女性蔑視は良くない」ぐらいのふわっとしたものしかないから…フェミニストというスタンスで話をされても「どれ!?」という話!!

特に世界だとこの辺がややこしいところで、エマ・ワトソンみたいにフェミニストを名乗っていても、それがリベラルなのかラディカルなのか、はたまたエコ・フェミニズムなのかマルクス主義フェミニズムなのかがよくわからないのだ。
言動を見る限りリベラル寄りで、本人もラディカルな意見に困惑しているようだ。

ラディカル・フェミニズムとは突き詰めるとなにか?

とはいえ、日本のフェミニストは世界のフェミニストよりも「ラディカル・フェミニズム」に偏っているからわかりやすい。
ラディカル・フェミニズムとは、法律的なことだけではなく、急進的にジェンダーのあり方を見直そうとする人達。ポルノ撲滅を掲げる、表現規制的なスタンスもこの人達。

 

どのぐらい急進的かと言うと…「秋葉原をゲットーシティー化しろ」とかいい出す人達がいるほど。

この人が特別過激ってわけじゃなくて…「女性だけの街に住みたい」という人が過去には話題になったことも…。

トドメになるのは上野千鶴子さんが、二村ヒトシさんを一門総出で応援するほど好きだというところですね!
二村ヒトシさんの著書は男性向けのモテ本と、女性向けの恋愛相談本でスタンスが真逆の二枚舌。

男性向けの本では
「あなたがモテないのはあなたが気持ち悪いからです」
と大きく出ていて、これに上野千鶴子さんが解説を入れるほど大喜び。

次の女性向けの本では
「恋愛は、親子関係のやり直し。全部親のせいにしていいんだよ」
と女性読者にこび倒す。それでも、上野千鶴子さんとつながりのある学者さん達が解説や対談をする始末。

2冊読めばアホでもわかるような方便の塊に上野千鶴子さんは、
「このやさしさ! 男なのにどうしてここまで知ってるんだっ! 」
と、大絶賛。

…フェミニストって男のことなんも知らない(で、頭ごなしに批判してる)んだなぁ…というのが透けて見える歴史的発見ができてしまった。

ちなみに、二村ヒトシさんは最新の著書「欲望会議」では、日本でもトップクラスの哲学者である千葉雅也さんとの共著を手掛けているため、ぼくの中で「東大の人文系ゴミばっか作ってやがる。学術的に正しいかどうか以前に、他人の善悪や方便も見抜けない(見抜いた上で悪意をもって乗っかる)んやね」って思いました。

 

ラディカル・フェミニズムの本質は、「(社会の)箱入り娘になりたい」か、「子どもを箱入り娘化させるためには、文化や芸能で活躍する人・楽しんでいる人の権利を排除してもいい」ということなんだよ。
そのくせ、上野千鶴子クラスの人でさえ男のことをよく知らないから、一番女に嫌な思い出を提供しそうな種類の男にはチョロいほど引っかかる
(くせに、攻撃しやすいオタクに八つ当たりする)。

 

法律とか国家権力とかまともな男(名誉女性)の力で、「なんとなくキモチワルイ男性」を隔離してほしい…という父性主義なんだよねぇ。

「父性主義」って言葉聞いて、「私、父親のこと嫌いやけどフェミニズムは好きなんや」みたいな、IQ3みたいなこと言われても嫌やから言わせて。
「父性主義」ってパターナリズムのことで、強い立場の人が弱い立場の人の意思に関係なく介入することだから。
英語でpatronizeには「子ども扱い、子どもだまし」の意味があるそうだ。

父性主義的発想の弱点って、日本のフェミニズムの親玉である上野千鶴子さんが反面教師的に示しているよね。
敵のこともよく知らないから、ラディカル・フェミニズムならば注視すべき二村ヒトシさんの本を読んで「案外いいじゃない」とか言い出してそのことで、世の女性に二村ヒトシさんの本を手に取りやすい環境を作ってる。

結局、父性主義ってどこまで行っても、本人には抵抗力がつかないから、本当に悪いやつには騙され続ける。
で、本当に悪いやつに対して有効な手を打てるだけの知性が育ってないから見当違いに、手当り次第に「隔離しよう」「規制しよう」しか言えない。

そんな思想は、まともな女性からしても大迷惑。
今現在、(ラディカル・フェミニズムが規制したいであろう場所に)活躍の場を見つけている人にしてみれば、本当に困るのは実力のある女性でもあることはわかっているからただただ迷惑。

特に悪い事してない男性からすると、ただただとばっちり。
趣味で楽しんでた作品を規制されたり、娯楽そのものがなくなるリスクが伴う以上、デメリットしかない。

とくにオタク達からすると、本当に危害を及ぼす人達ではなく、ネットや家で作品を楽しんでる人間に突っかかってくるんだから…そりゃもう差別的にも捉えますって…。

 

オタクとフェミニストが対立しない方法(オタク側からのアプローチ)

フェミニストのやっかいなところ…それは、正解がないことです。

例えば、オタクの保守的だからルールを守ったり、自分が応援している人達の利益になるルールならちゃんと受け入れる。

しかし、ラディカル・フェミニストの求めてる正解は
「100%一人の例外もなく、女性にとっていい感じの男性になれ!それができないなら、女性だけの街を用意するか、男性だけの街に隔離しろ」
だから、実現もほぼ不可能。

無理難題を押し付けて、しかもこちらには見当違いかつとばっちりな規制を強いようというのだから…そりゃ怒りますわ。

 

根拠を聞いてみると、自分の嫌な体験を過度に一般化してるだけだから
「それは認知の歪みです、いい精神科紹介しますよ」
以外のなんでもないことが多いこと多いこと…。

だから、オタクとフェミニストが戦わないためにできることは3つしかない。

1つは、ラディカル・フェミニズムの人達を徹底的に無視すること。
基本的には実現不可能か、無謀か、極端なケースの話しかしてなくてほとんどの人にしか当てはまらないから無視するのが一番いいです。少なくとも個人の行動としてはそれが一番正解に近い。

1つは、ラディカル・フェミニズムの根源が精神的に病んでいる場合が多いことから、それは学問でも思想でもないことを精神医学の普及や、ちゃんとした恋愛のコンテンツの普及によって黙らせること。
彼らに必要なのは女性しかいない街なんて仰々しいものではなく、学び。
認知行動療法的に自分の考えのおかしいところを修正することと、まともな恋愛コンテンツを応援してクソ男に騙される女を減らすこと。

1つは、弁護士資格・議員資格・メディア出演を剥奪すること。(※おすすめはしない)
今一番の問題は、トンチンカンなフェミニズムを唱える人達が弁護士などの影響がある人物であること。
逆に言うと、彼らの言ってることが個人の感想になってしまえば、他の人と変わらない。あんまりトンチンカンな話が世の中でまかり通るのがしんどい人は、権限のない立場に突き落とすしかないのではないだろう…。

そこまでやるだけの価値もない連中だと思うからぼくはやらないけどね。

ただ、ネットには過激な反フェミニズムの人達がいるから「やるんだったらそっちでがんばったほうがいいんじゃない?」と正直思ってることだけは言わせてください。

キナ臭い記事、失礼しました。

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