衝撃的な1冊を読んでしまった。
よくテレビでニュースになる汚屋敷の住人を取り上げたマンガだ。
ゴキブリが出ることぐらいは当たり前…いや、ゴキブリどころかネズミが常駐している始末。
ネズミにボロボロにされた靴を捨てても、ネズミうんぬんよりも「靴を捨てたこと」を怒る始末。
このマンガを読むまで、「汚部屋」とか「汚屋敷」と呼ばれるものは「片付けられない人」が作るものだと思ってた。
物の管理を含めた、管理全般を苦手とするADHDの人が、陥りがちな症状…と一般的に言われている。
作者が言ってるように「片付けられないで途方に暮れている人」ならこれは当てはまるだろう。
ところが、実際に「汚屋敷」を作り上げる母親のもとでおとなになってから実家ぐらしを経験した作者は、(母親に隠れてものを捨てる、片付ける…それでも汚屋敷に戻そうとするという)紆余曲折を経てこう結論づけた。
これを聞いた途端に、僕の中で「発達障害の問題」から「習慣の問題」に話がシフトした。
いや、厳密に言えば、「発達障害」によって先天的にできないことも、それが当たり前で居心地がいいと感じ始めるようになってしまうと、発達障害の問題から、習慣の問題へとシフトするんだなぁ…と思った。
「行動の40%以上がその場の決定ではなく、習慣」
自己啓発本を読む人の間では、有名な研究結果に「行動の40%は習慣。寝ている時間が30%あるから起きている時間の大半は習慣だ」という考え方がある。
細かいところはジェームズ・デュヒックの「習慣の力」という本に書いてあるからそっちを読んでもらったらいいだろう。
習慣については、自己啓発や偉人の名言が大好きな「いわゆる、意識高い系」な人達が大好きで、他にもマザー・テレサの有名な格言が取り上げられることが多い。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
これが科学的に証明された事実だとは言わない。
しかしながら、部屋を片付ける習慣がない人が、それが当たり前になる。
本人にとって、居心地がよくなると…衛生や社会通例的には片付けることが正しいはずなのに、片付けをする人を怒る。
「全部使うものだ!」
「泥棒が入るかもしれない」
などの難癖をつけて片付けをしない理由をあれこれ正当化していく。
一見、「この人はバカなのかな?」「頭おかしいのかな?」とおもう言い分を並べ立てるが、どれも建前に過ぎない。
「汚屋敷・汚部屋をキープしておくのが落ち着く」
これが本音だ。
自己啓発本では、「習慣」もホメオスタシスの一種と言われてるが…嘘とも言いきれない。
本来、ホメオスタシスはもっと人間の生理的な機能を言い表した言葉だ。
例えば、ダイエットや断食をすると…その人がデブであっても筋肉量が不足していても(健康にいいはずの)体の変化が一度止まってしまう。
人間の体には生存を維持するために、「変化を止める機能」がついているため急激な変化が体に起こると体の方から変化を拒否してしまう。
(ちなみにホメオスタシス関係ないけど、)太ることについても個体差によって「頭打ちするところ」がある。だから、日本人で100キロを超えられる人は先天的に「太る才能」がかなり高いらしい。
自己啓発本やビジネス書の世界だとホメオスタシスは心理学でも通じると思って誤用されがちだが…(心理学の研究やビジネススクールの先生、成功者の名言などから)言いたいことをまとめていくと
「人間は自分にとっていいか悪いかに関わらず、変化しない環境に居心地の良さを感じていい変化でも素直に受け入れられない傾向がある」
ということなので、心理面でもホメオスタシス的な概念はあるのかもしれない。
心理的なホメオスタシスのほとんどは、先天的な人間の機能ではなく、後天的に自分で作ってしまった「悪い習慣」や、「変化や恐怖に対して心の整理がついていない状態」なんだけどね。
なにが言いたいかというと、こうだ。
まず、汚屋敷・汚部屋になりやすいだけの人であれば、その人はADHDやHoarderといった発達障害の一種だろう。
しかし、それが習慣として染み付いてしまった人になってくると、もうスタートに関わらず「居心地がいいところから出たくないだけ」だから…手に負えない。
平たく言えば、「甘え」だね。
バカなフリをしてまで自分の悪い習慣を維持したい人は「甘え」だよ
インターネットで「〇〇は甘え」というと、ネット民から反発されやすい炎上ワードだから定義をしっかりさせよう。
ここでいう「甘え」とは「問題がある状態・行動を問題だと思ってない状態」ね。
もしも問題だと思っていたり、変えたいと思っていたら正しい見識を持った人のアドバイスや、興味を持てるような提案なら聞き入れる。
自分にはできないと諦めている人も、訓練や成功体験次第では変われる人はいる。
だから、ほとんどの人は甘えじゃないし、甘えだと罵るべきではない!!
ところが…世の中には自分に問題があっても絶対に変えたがらない(そのためには人からなんと思われてもいいからバカなフリや、理不尽な言い回し)を平気でする人がいる。
そのクラスの人はさすがに「甘え」と言ってもいいと思う。
「甘えだから糾弾すべき」
という話ではなく、
「話し合いで解決できないほど頭のおかしい(最優先で甘えた状態を維持したい人)がいる」
という話だ。
インターネットで、よく(論理的ではない)暴言を吐いて炎上している人もこれに近いだろう。
「なんであんなバカなことを恥ずかしげもなくいい続けてるのかな?」
と汚屋敷の本を読むまでずっと悩んでた。
でも、汚屋敷の本を読んだ時に
「ああ…これがこの人の習慣であり、この人が歩んでる運命なんだなぁ〜」
「この人達は、ネットで悪口を書いている自分が好きか、悪口が書き込まれている状態が気持ちいいんだなぁ〜」
と思えた途端に、論理破綻していようが、失礼であろうが…納得できてしまった。
ぼくは知人から「成長し続けていて偉い」「絶望的な状況でも心が折れずがんばり続けていてすごい」と言われることがある。
なぜそれができるか、逆に「自分が堕ちてしまった時の姿とはどんなものだろう?」と思ったけど…汚屋敷の人をみてやっとわかった。
最もダメな人間って…自分にとって気持ちいい環境を維持するためなら、学問や論理の正しさからも、他人の建設的な意見からも目を背けて意固地になって、自分の体や精神にとって悪いことをし続ける人なんだ…。
ある意味、真理を見ました。
自己啓発本とは真逆の本ですが、逆に本当にダメな人間を見て自分の襟が正されるというショック療法が味わえます。
よかったら、お手にとって見てはいかがでしょうか…。