自分の才能を高く買ってくれる人につけ!弱みにつけ込むやつに関わるな!!

ぼく自身が発達障害ということもあって、ぼくの周りには発達障害の人が多い。

昨日も、そんな知人と会ってブログやアフィリエイトのことを教えていたわけだけども…びっくりするほどパソコンに疎い人だった。
ぼくだって詳しい人から見たら鼻くそみたいなもんだけども…ぼくなんかよりも有能で結果を出している人が、パソコンで作業を楽にする方法や、少し調べたらわかることを全然知らなかった

あ、ぼくが知人を見下してるわけじゃないからね?
むしろ反対。

知人は自分が機械に疎くても、それを逆手に取って消費者にわかりやすく機械を販売したり、苦手な機械を使いこなして新しいことをやるために学び続けたり…そういうことができる人だ。

一方、ぼくなんか器用貧乏。
エンジニアになれるほどパソコンに詳しいわけでもなく、億万長者になれるほど儲けるのがうまいわけじゃないから【器用貧乏でも役に立てることがあるんだな…】って自分より成功してるのに、自分が大したことないと感じてる知識で驚いてくれる人を見る度に驚いてる。

そして、そんな時に、範馬勇次郎のあの有名な台詞を思い出す。

このセリフに出会ったのは、大学受験が終わって、下宿先に近いブックオフで刃牙シリーズを読破してた時のことだった。

いや、このセリフを聞いてもなお「ぼくに持ち味なんかあるのかな?」と正直半信半疑だった。

高校生までは、母に「できない科目」ばかりなじられ続けていた

発達障害の中でも、アスペルガーやサヴァン症候群に近い人だったら、座学が得意で、学生時代が一番楽しかった人…もいるだろう。

しかし、ADHDが強いは忘れ物をして先生に怒られたり、
注意力散漫で「態度が悪い」と怒られ、
アスペルガーも軽度に併発していることで他人の意図が読み取れない。

その結果、「悪気はないんだけど、問題児になってる」なんて事があると思う。
ぼくの学生時代はそんな感じだった。

発達障害を発症している人の犯罪率は低く、ぼくも根は真面目で善良な人間だった。
だから、ちゃんと勉強して成績は中ぐらいにして…落ちこぼれや不良にはならないでなんとか頑張ってた。

でも、成績を科目別に見ると、理科や社会の成績だけが学年トップクラスで、国語や英語が苦手だった。

できた親なら
「君は暗記科目が得意なフレンズなんだね!」
と言ってくれたかもしれないけど…うちの母は、ぼくの英語の成績にヤキモキして得意科目を褒めてくれたことはなかった。

「欠点を埋めなくては!」
と思うほどドツボにハマって、気がついたらしょーもない大学にしか入れず、かといって突き抜けた仕事につくようなこともできず…結局は、躁うつ病になった。

いち早く、可能性に気づいていた父

人に話せば、ただの親バカかもしれないが…我が家には「こいつは機械に強い」という信仰が幼児の時からあった。

そのきっかけは、子どもの時にぼくがアンパンマンを永延とビデオデッキを操作して1日中見てた時のことだった。
話によると、父も母もビデオデッキの使い方を教えてないらしいのだが…幼児のぼくはアンパンマンのビデオをリモコン片手にひたすら再生と巻き戻しを繰り返して見続けていた…という。

子どものぼくは
「ママやパパがやってることを真似したらできた」
程度のことだったのだろうけど、教えてもないことを勝手に覚えて没頭していることに、特に父は驚いて何度かその話をしていた。

「三つ子の魂百まで」
という言葉はぼくのためにあるらしく、これがぼくの人生を大きく表していた。

さすがに大人になってからはアンパンマンなんて見てない。
代わりに、同じアニメを何度も見返すオタクになった。

見ているアニメがアンパンマンというのもポイント。
オタクの中には、きっかけが深夜アニメや美少女アニメになっている人が多いため、ぼくのようにクレヨンしんちゃんや鋼の錬金術師みたいな、同年代の普通の男の子が見てた作品をベースにオタクに入っていく人はオタクの世界ではかなりレアだった。(このことが、作品レビューやブログを書く時に、すごく役に立った)

 

ビデオデッキを勝手に操作してたことも、後々のことに繋がる。
誰に教えられたわけでもないのに、ブログや動画を自分で作れるようになって、プログラミングのような凝ったことはできないけれども、軽いHTMLやウェブデザイン、動画編集やアフィリエイトぐらいなら浅く広くできる人間になった。

自分自身がそういう人間だと気づく前に父から「お前は機械に強い」と言われた時には
「いやいや、エンジニアでもプログラマーでも理系ですらないやつなんて山のようにいる」
と謙遜した。ところが、
「いや、お前みたいなやつも世の中には必要なんだよ」
と言ってくれた。

父の学生時代はゴリゴリの理系、仕事としては企業の購買関係だったこともあって、
「専門家になればいいってもんじゃない」
「技術や知識を実現するためには、間に色んなプロセスがあること」
をよく知っていたからこそできたアドバイスだとぼくは思ってる。

まぁ、特にレールを敷いてもらったわけではないだけどね。
だけど、何年後かに気づくまで見守ってもらえたし、気づくヒントをいち早くくれたことには感謝してる。

受験も就活も評価してくれなかった才能に、道をくれたインターネット

きっかけは色々ある。

ブログバズってそこそこの広告収入を得る経験をしたり、
他人にブログを教えてお金を得る経験をしたり、
マンガレビューで大手書店並みに1つのタイトルを売り上げたり…

色んな経験をした。

でも、最近大きかった経験は、複数名で運営するサイトに誘われ、そこで自分が考えうるドリームチームでサイト運営ができている点だ。

Web業界の経験や実績で考えたら他にもっと優秀な人はいっぱいいるかも知れない。
ただ、それ以上に自分の才能を評価してくれた上で、好きなように・それでいてそのサイトにとって重要な仕事を任せてもらえていることの充実感だ。

仮にGoogleにお呼ばれしたとしても、自分の才能を評価してくれず代わりの効くなら充実感なんてないだろう。
自分が面白いと思える人間と一緒に作り上げることができないなら、それは虚しいだけだろう。

だから、自分が面白いと感じて、向こうも才能を評価してくれる人となにかを作ることができている最近はすごく楽しい。

動画づくりに続いて、新たにこのブログ以外のサイト運営をやっているからますますブログを書く時間は減っているが…それでも充実感や人生の大きな転換点であることは感じている。

しかも、文章を書くことや作品についての造詣はぼくよりも深い人達が多いが、そんな中でもオタクとしてのルーツがぜんぜん違うことや、自分一人でサイトや動画を作ってきたことで獲得した知識は活かされてる。

学校教育も、就活も、母親も、ぼくの得意分野に興味を示さなかったし、そのことでぼく自身、心身ともに苦境に立たされた。
しかしながら、やってきたことや得意なことはムダにならないと信じてやってきたし、それが活かされようとしてる。

 

だから、機械周りのことが得意じゃない中でも持ち味を活かして知人のことはバカにできない。
なんなら、「みんなが当たり前にできることが苦手なぼくだって生きていけるんじゃないか?」と希望を見出している。

 

同じような経験をしてる人・悩んでる人はいっぱいいるような気がしたので…まだ道半ばだが、こんなコラムを書かせてもらう。

新サイトが安定したら、ブログや動画にまた戻ってくる予定だけど…とりあえず、今はこれだけ

 

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