ネットスラングを公の場で口に出してしまうことがどうして問題なのか?

新年早々、新進気鋭の社会学者(?)が炎上していた。

社会学者の古市憲寿氏がウエンツ瑛士に対して「ハーフってなんで劣化するのが早いんですかね?」と言い放つ場面があった。

 

(略)

ところが古市氏は反省する素振りもなく、「ウエンツさんのことじゃなくて、一般的に(ハーフは)劣化って早くないですか?」となおも問い続けた。この発言には松本人志も頭を抱えるように苦笑し、指原が「ものに対する言葉って感じがしますよね」とコメント。

 

社会学者の古市憲寿氏 「ハーフは劣化が早い」と言い放つ – ライブドアニュース

 

最初に方針を示しておきたい。

この記事は古市憲寿氏を責める記事ではない!

なぜなら、古市憲寿氏みたいなやつはこれから山のように出てくるであろうため、古市氏を叩くことよりもむしろ、古市氏の失態から見えるものに警戒すべきではなかろうか?と言う記事である。

 

そもそも、なぜ「劣化」 と言い、それが問題だったのか?

改めて言うほどのことでもないことだが、古市憲寿氏が使った「劣化」という言葉はネットスラングである。そのため、人様に「劣化」と言う人はネット上にはかなりいる。

意味としては子どもやアイドルが年齢とともに美しくなくなったり、若い時のかわいさが失われた時の状態のことを「劣化」という。おそらく「経年劣化」という言葉から取ったものだと思われるが…当然、人に当てる言葉じゃない。

 

この辺の事情は有村さんも同じことを言ってる。

 

ただ、有村さんと僕が違うのは「ネット脳」なヤツが古市憲寿だけなのか?という点。

くっきりと分けるならば、「ネット脳」なことが問題なのかという点だ。

 そういえば、有村さんの母校でネット脳みたいなラノベが流行ってませんでした?

悪くいう気はないけど、「ネット脳」みたいなライトノベルが5年も前から最高学府で流行っていたという事実があります。

 

当然、有村さんも読んでるし、僕もお会いした時にこのラノベの話をしてるので、当然読んでます。ご存知、はがないです。

 僕は友達が少ない 11<僕は友達が少ない> (MF文庫J) 

東大生が最も読んでいる文庫、第1位はライトノベル『僕は友達が少ない』

 

面白いには面白いですが…活字を読むのが遅い僕でも1〜2時間あれば読める、すご~く中身の無いライトノベル。東大生なら30分あれば1冊読み終わるんじゃないかな?

そして、 「ラノベは絵」を実践したような本。イラストの評価はすごく高いが、文章も扱ってる題材もネット脳な人向けの内容で読みやすいには読みやすいが文章やお話が優れているとはとても言えない作品。

 

どのぐらい「ネット脳」だったかというと、ググれとかAmazon(作中ではアマゾネス?)とか、エロゲとか…インターネットや掲示板を使っている人が日常的に発する言葉が高校生の部室からガツガツ出てくる不思議な作品なのだ。

 

小説なのに、ネットの掲示板・ツイッターをやってる時と同じく最近のアニメやネット上で使ってる言葉が出てくるような作品が東大生に人気なのだ。

 

さらに、「ネット脳」なだけじゃなくてオタク臭いのだ。

 

この作品は隣人部の活動とか、女の子達と一緒に友達作りと言って取り繕ってる。しかし、その実態は

「女だらけのオタサーでしか友達のできないぼっちが、部活の中で集まってる時点で友達同士のはずなのに、友達作り・友達作り・私は残念・残念だからぼっち」

みたいに、謙遜してる不可解な(オタサーの)オタクの生態を描いた作品です。

 

 …何が言いたいかというと、「ネット脳」なんてものはもう5年も前から若い人が染まってたんです! 少なくとも、「ネット脳」な人達が登場して、ネット脳な話をする人をみて楽しめる人が東大の中ですら、かなりいたのです。

 

そこから5年。ネット脳みたいなライトノベルは度々流行っていたんです。

「僕は友達が少ない」だけではなく、僕のブログでレビューしたものの中では、この人の作品なんかは2ちゃんねるのノリそのままのひっどいノベルです。

 JSが俺を取り合って大変なことになっています: 1 (一迅社文庫)

 つまんないからオススメしないけど、「ネット脳」ってものがどんなものか知りたい人はどうぞ。

 

あと…今読んでるのだったら…これも酷いな。

 おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ! (富士見ファンタジア文庫)

 …ネットスラングどころか、インターネット特有のオタクの逆恨みや、ルサンチマンまで忠実に再現されているなかなか痛々しいノベルです。 (※ただ、これはけっこう面白いので、ネット脳に腹が立たないなら読んでもいいかも…)

 

このように、 1ジャンルになってるんですよ…。

「ネット脳を垂れ流す」「ネットスラングがいっぱい出てくる」ようなライトノベルが、かなり大きな市民権を持ってるんですよ…。

 

しかも、これはゲームやマンガでも同じようにネット脳な作品が増えてるからおっかない。

しかも、「ネット脳な読み物」を読んだ学生が社会に出てる

しかも、ライトノベルを読むのはティーンから大学生ぐらい。

この傾向は「僕は友達が少ない」からだと計算してももう5年ぐらい続いてる…。

 

 つまり、ネット脳なノリを「楽しい」…ヘタしたら「これこそ、みんなが楽しいと思うようなノリ」と感じる人がもう、20後半…つまり、社会に出ちゃってる。

 

…いや、大学生までネット脳みたいな読み物を避けて「ネット脳はネット脳」と避けられるぐらいの年齢の人の問題は少ない。

ジャンクなもので、公に口に出してはいけない「子どもっぽい/ゲスな言葉」だと自覚してしゃべってる世代は比較的問題が少ない。

 

本来、古市憲寿もその世代のはずなんだけどねぇ…。ネット語がみっともないと知ってて、ちゃんと勉強して慶応に入って、学者になった人だからまともな言葉を知ってるはずの人なんだよなぁ…。

 

有村さんのツイートに付け加えさせてもらうなら「ネット脳」でもいい。

「ネット脳」以外の文化や言語の基礎がしっかりしていて、それゆえに「ネット脳」な部分を出し入れできる人ならネット脳な読み物を読んだって全く問題ない。

 

ただ、ネット脳とそうじゃないものをくっきりと分けるだけの基礎がない人に「ネット脳」という選択肢が身近に手に取れる環境が今の子ども、オタク文化の中にあることはもっと真剣に考えたほうが良いテーマだと僕は思ってる。 

不幸なのは今の中学生は朝の読書でネット脳な本を読むこと

そもそも、ライトノベル自体が「ネット脳」とは遠い存在であり、オタクの話を扱わないといけない空気というわけでもなかった。

 

例えば、僕とライトノベルの出会いは「キノの旅」だった。

キノの旅 the Beautiful World<キノの旅> (電撃文庫)  

学校の1時間目がスタートする前に各々が持参した本を読む「朝の読書」の時間に同級生との話の種に読み始めたことにある。

 

…ちなみに、オタクではないS田くんという席の近い友達が僕よりも先に朝の読書の時間にキノの旅を読んでいた。

実際、オタク的な知識がなくても十分に楽しめるものであり、星新一を教室の後ろの本棚に置いていた、当時の学級では星新一をOKしている以上、同系統のキノの旅を突っぱねることはできなかった。(同系統だから、万が一難癖をつけられても親や先生の合意が得やすい作品だった)

 

S田と僕という当時はオタクでも読書家でもない奴が手にとってたのだ!

運動部員よりも遥かにオタクな演劇部の連中がそれを知らないわけはなく、キノの旅の二次創作なのか、星新一の二次創作なのかわからないような「実験的な国家」の話を扱った演劇が文化祭で披露されたことも僕は記憶している。

 

 

ちなみに、高校の時には受験に対して自暴自棄になっていた僕は妹に涼宮ハルヒシリーズを借りて、大学受験の待ち時間・休憩時間はずっとハルヒを読んでた。(ただし、僕がクソみたいな大学しか受からなかったのはそれ以前の準備と、僕の上がり症のせいだから涼宮ハルヒシリーズに罪はない)

 涼宮ハルヒの憂鬱<「涼宮ハルヒ」シリーズ> (角川スニーカー文庫)

  

涼宮ハルヒシリーズも…オタクじゃなくても読める。

下手をすれば 、ティーン向け・オタク向けの低俗な作品としてではなく「SF」として評価されることすらある作品だ。

 

 このように、ライトノベルを読んでいても「読書」といえなくもないような作品が昔のラノベにはあった。「あった」だけではなく、一番手に取りやすい所に置かれた。

 

今の中学生が手に取りやすいライトノベルは「ネット脳」にまみれているか、ハルヒやキノに影響を受けた人がSFや文学性をそぎ落としてを萌えだけを劣化コピーしたクソミソを手に取ることになる。

 

そういう人がおとなになったら「ネット脳」以外の脳みそ、語彙、文章や日本語の美しさはどうなるのだろうか?

そう考えると、古市憲寿個人の問題よりも、はるかに怖いのは「ネット脳なモノが手に取りやすい場所にあった中学生が、それらを読みながら大人になった時、どんな日本語をしゃべるのか」ということではないのか? 

 

 しかも、ライトノベルなんか読む人はなおさらに文学やラノベ以外の小説に敷居の高さを感じて読まない可能性が高いため…余計に考えたくもない。

 

日本語が乱れるとか、若者言葉が…というレベルよりも遥かに悪質な問題だから、もっと真剣に扱って欲しいねぇ…。

 

ネットスラングばかり喋る人のなにが問題か

例えるなら、「差別語」がサラッと出る感覚に近い。

「びっこ」「キチガイ」「ぎっちょ」「土方」「百姓」みたいな言葉はサラッと口に出すと、怒る人もいる。なぜなら、知っている人から見ればそれは差別語だから。

 

差別語が差別語である理由は以下のものがある。

身体障害・精神障害を指す言葉を悪口として使っていること。(キチガイ・びっこ)

語源があまりにもひどすぎて、言われたほうが傷つくような言葉(ぎっちょ)

職業差別のニュアンスを含んだ言葉(土方、百姓)

 

古市憲寿氏が使った「劣化」という言葉も語源や本来の用法として使っている人が、正面から言われたらそれは差別語が差別語である理由と同じ理由で怒る。

 

「そういう言葉がネットにはあるんです」

と言い訳したところで、ネット脳なものに触れたことがない人はどう思うでしょうか?

 

「幼女」という言葉を使う(オタクではない)一般人を見たことがない

「劣化」以外でネットと現実でニュアンスが違う言葉を挙げるとしたら僕は「幼女」という言葉を挙げたい。

 

ネット脳のような読み物である「僕は友達が少ない」「おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ」には、この「幼女」という言葉が平然と登場する。

 

ここからは出典が明確にあるわけではないから「さもありなん」ぐらいでとどめておいて欲しい話をする。

 

「幼女」という言葉をライトノベル上か、アニメを見ているオタク達の間で出てくるとそれは【恋愛対象・性的対象】としてのニュアンスが含まれる。実際の日本語の意味よりも上の年齢で使われる印象がある。(そのため、ネット脳の意味を帯びた「幼女」はフェチズムと繋がり、聞き手に本来の意味とはまた違う不快感を与える。)

 

区別・比較する意味合いで言えば、ネットで「少女」と言うと小学校高学年〜高校1年ぐらいまでの女の子を刺すだけではなくそういった年齢の女の子が色っぽいこと・顔をしてるのを見てみたいという意味合いを含む。

実際には「少女」という言葉はあまり使われず、少女より上の年齢を「ババア」「年増」として扱うこと、それ以下の年齢のキャラを「幼女」という呼称を与えることで区使い分けてる。

 

関連して有名なネタ画像で、こんなのがある。

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 そもそも、2次元は児童ポルノに含まれないから、これもまたネット脳・ネットスラング的な言い回しの冗句である。

 

でも、こんな調子で「幼女」「年増」「ババア」というため、一般的な定義とは違う言葉づかいが生まれる。

 

しかし、この定義じゃ…これじゃまるで、江戸時代だ。

娘盛りを過ぎた女性

言葉が意味する年齢はその時代によって変化する。数えで15〜19歳が娘盛りとされた江戸時代には20代以上を指していた。かつては数え20(現在の満年齢では18〜19歳)で年増、25で中年増、30で大年増などと呼ばれていたようだが、現代では、30歳後半から40代くらいまでを指すとされる。さらに年代が上がり初老の域に入るとこのような呼び方はされない傾向にある。

年増 (としま)とは【ピクシブ百科事典】

 

ネット脳が、ネット上やアニメの話をしてる時限定の冗談として出し入れできるなら問題にならない。

ネット脳以外に、いいと思う読み物や作品…美意識や内輪ネタがあるなら、判断できるリテラシーが備わるはずだ。

 

でも、わかんない人や、これからわからない人が育った時に「なぜいけないか」を説明するならそれは「無自覚な差別、蔑視、選民意識が言葉の中にちらついて、相手を怒らせる。あるいはその程度の教養しかないバカであることがバレるからですよ」と言いたいのです。

 

…そもそも、こんな長い記事を読めるほど読む体力があるなら、ネット脳みたいなライトノベルが低俗でジャンクなことぐらい理解しているかと思いますけどね♪

 

・関連記事(ネット脳っぽい話)

 確かに、ネットだから書けること・共感されることもあると思うんです。でも、それは言うべき場所を選ばなきゃ、ただの偏見・無知・態度がいけ好かない傲慢な人だと思うんです…はい。

 

 

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