履歴書が手書きかデータかは「何を求めてるか」から議論しないと不毛

 

企業の役員さんでもあるお笑い芸人「厚切りジェイソン」さんと歯に衣着せぬ批評を展開することに定評がある「フィフィ」さんが履歴書はデータにすべきか、手書きにすべきかを議論しているのが話題になっていた。

終わりなき履歴書様式論争。

厚切りジェイソンさんは

就活の履歴書で手書きは効率が悪い、アメリカで手書き履歴書は聞いたことがないということだ。

と言ってて、フィフィさんはこう言ってる。

どちらかに肩入れする気はないが、この意見には疑問がある。

まず、よく「字が性格を表す」論は聞くけど、人事の人は履歴書を一枚一枚丁寧に見てるのか?

よしんば、一枚一枚見てたとして、字が表せる性格を読み解けるほど今の採用担当者に習字や書道の嗜みがあるのか?

そう考えていくと、手書きにこだわる理由がますますわからなくなる。

手書きにこだわる企業は多く、説明会や面接などで集まって、その待ち時間に適性テストなどと一緒に履歴書も渡して書かせることも多い。

Why Japanese people?

とジェイソンさんは疑問に思うかも知れないが、当の就活生やルールを守る側にいる若者もよくわからない疑問なのだ。

いや、この件に限らず、疑問だらけだな。まるで目隠しされたまま歩かされているような気持ちになる。

なぜかもわからないまま一方的に落とされてる。…ような気がする

就活と学校の入試の違いはこの

「どうしようもなさ、基準のなさ」

だ。さらに付け加えるなら

「勉強する手段や基準はあっても合格までに何をすればいいか、また合格までの距離が何をしていいのか、そもそも過去問が入手できても正解がない分だけ傾向と対策が存在しない」

だろう。

勉強する上で一番重症な生徒は「わからないところがわからない」という。

逆にそこそこ勉強ができるやつは「ここがわからない」という。

もっと勉強ができるやつは「え?なんでできないの」「たいしたことないよ」という。

僕の人生は大学2年までは基本的に「ここがわからない」という人だった。

すごい勉強ができたことはないが、勉強さえすれば、説明さえ聞けばだいたいのことは理解できた。

受験の戦略ミスで大した大学に行けなかったが、学校で勉強が特別できない立場にいたことはない。

ところが、僕は就活で人生初の「わからないところがわからない」を体験した。

そうなって始めてわかったことだが、チンプンカンプンのまま試験を受けて、自分がわからないところがわからないまま落ちていく試験とはとても理不尽に感じる。

受験なら「どこを間違えたから落ちた」「どんな努力が不足してたから落ちた」かがわかるが、就活は「縁がなかった」と言われる。

不合格なんて通知ではなく「見送らせていただく」「活躍をお祈りしてる」とか露骨な社交辞令とともに人格否定発言であしらわれる経験をし続けると、段々と気持ちが滅入って、心が折れて来る。

受験勉強なら勉強すれば合格できるかも知れないが、就活はわからないところがわからないから勉強のしようがない。

そこが一番難しく、特に内向的で生真面目な人間が悩むところだ。

これは履歴書の問題だけじゃない。

面接やグループセッションの立ち振舞い、エントリーする企業、自分がそもそも採用過程のどこにいて何をしてるか…何もわからないくせに監視され、よく要領がわからないまま落とされてる。

ひたすら何か大きな波の中で振り回されているような間隔にさいなまれる…。

私が3.11の起こった年に就活をしてて、なおかつ発達障害持ちだから人よりも強くそう感じている部分はあるだろう。…でも、そう感じてたのはどうやら僕だけではないらしく、こんな動画も作られている。

就活に求めてることを聞くとなんかこう、…規格外。

履歴書の話に戻ろう。

履歴書の論争については少し前に、こんな記事が話題になった。

履歴書自体をデザインしてしまった人のお話。

教わったことを真面目にやるような人から見たら「こんなのイロモノだ!」「書式を守ってない」と言いたい人もいるかもしれないが、確かに面白い。

履歴「書」ではないけど、サイトを作って内定をとった人ならこの人が有名だ。

自分のダメすぎる履歴をそっくりそのまんま、それもドヤ顔で書いていることでかえってダメなところまでチャーミングに見えるように作ってる。

この二人を紹介すると、僕みたいな性格の、真面目に就活本を読んだり、大学のキャリア講座っぽいものを受講しちゃったりする人からみたら「知りたいのはこういうのじゃないんだけど…」という意見が飛んで来ると思うだろう。

実際、ルールにない場外試合をしているわけだから「こんなのダメだろう」と思う人の気持ちもわからないでもないし、僕も「ダメだろう」と感じてる人だ。

だが、どうも場外試合をやるべきだと言う意見も根強いらしく「直談判 就活」と検索すると14万件も出てくる。

その中で、やれ熱意を示すために御礼状をを送れだの、やれ最終面接に落ちた後でも連絡してもらうために電話をしろだの…なんかもうすごいものばっかり。

(そもそも、連絡してくれるなとか、問い合わせは受け付けないとする企業も多いから、直談判も本来はルール的にはグレーなやり方なわけで…)

そして、検索しているうちに見つけた厚切りジェイソンさんの祖国、アメリカでのお話でも、自分の広告を出したとか、動画を作ったとかそういうイロモノの話があるそうな…

いよいよ基準がわからない。

いや、企業によって基準は違うからこそ「結局どうしろっていうんだ!」ともやもやする。多少、叩かれてでも「こうして欲しい」「こんな人を欲しい」と言ってくれる所が出てくると楽だが。

いや、そもそも叩かれそうな基準(顔がいいとか、学歴がいいとか、ルールに書いてないトリッキーなことをしてくるほど強引な奴がいいとか)を求めているとするとルールの中でがんばろうとする時点で負けなのかな?

履歴書が手書きだ、データだという議論も実態がないんだよ。

そもそも、「それ以外」を求めている可能性がある企業や、「それ以外」もOKされちゃってる実例もあるからね。

ほんと、考えれば考えるほどこの話はわからなくなる。

ルールやフォーマットを示して置きながら、肝心なことは「自分で考えなさいよ」と言われてしまうからね…。

それで就活がうまくいかない、入っても他の世代と圧倒的に差がついてしまう結果、若者と他の年齢では大きく差が付いているんだよなぁ…。

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あー「わからないことがわからない」よ。

しかも、そこまでがんばって入った企業が自分に合ってるか、そもそも待遇的に辺りなのかがわからないのが、就活のやる気のしない所なんだよなぁ…良心的な会社もあると思うし、そこに自分が当てはまれば勤め人も悪くないのかもしれないけどねぇ…。

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心が折れかけてる時の人間の話。まぁ、これは就活じゃなくて、僕自身がブログを頑張ってることについての話なんだけどね。

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