貧困JK報道とその批判について、川崎市民として思うこと

治安がワルすぎて女の子も呼べない街、川崎

半年ほど前、ナンパ術「恋愛工学」についての本を読んだ。

その本で「自分の最寄り駅・近場で女の子を呼び出して、自室に招いてヤるべし」というノウハウを見た。だが、川崎に住んでいる人だと、それはうまくいかない。

なぜなら、川崎駅で女性と会う約束をしたら、その女性がお風呂屋さんのスカウトに声かけられて、怯えてしまってそれどころじゃなかったからだ。

その一件があってから、ブログ相談や会いたいと言ってくれる相手が女性の時は、なるべく出向くようにしてる。

川崎ってのはそのぐらい治安が悪い街であり、治安の悪さ相応に貧乏な人やおかしな人がいる街だ。

そういう街に住んでる人間として、貧困問題には一言ある。

 

 まず、貧乏人は汚くて、同情する気持ちが湧かない。

川崎に住んでいると、汚らしいホームレスを日常的に見かける。

多摩川に掘っ立て小屋建ててるような感じのやつもいるし、

夜になると川崎駅にダンボールを敷いて寝るやつも知ってる。

街を歩いたり、すれ違ったりすると、それは近寄りがたさ・動きと存在感の異様さ・気持ち悪さはシンゴジラの初期形態のような恐怖がある。

ゆっくりこっちに向かって歩いてくるだけで生理的に受け付けない感覚を覚え、薄汚い猫背のジジイにかっぷくのいい若者であるぼくが道を開けてしまう。

女子高生についての貧困報道を「ヤラセっぽい」「無駄遣いをして豪遊している」という非難する声がある。

だが…川崎市民で多摩川沿いでホームレスを見かけたり、ゴミあさり・ゴミの回収をしてるホームレスを見かける地域の人(溝の口よりも多摩川の下流側の住人)ならば、「女子高生にスポット当ててる時点で、貧困をダシにしたお涙頂戴ですよね?」ってことぐらい瞬時にわかる

本当にどぎついほど、見ればわかるほど貧乏な人は、お涙頂戴なテレビ番組にも使われないような人達であり、そういう人のことを毎日のように見てるから。

貧しい街は川崎であれ、足立区であり、神戸の下町の方であれ、どこも同じ。

不良がいたり、不良の落書きがあったり、昼間から酒を飲んで警察の厄介になる人、安物買いの銭失いみたいなお店が山のように軒を連ねそういう所で大学生みたいな飲み食いをするのが贅沢だと思っている人、行動原則が不明な徘徊老人、ふと見かけるレジ袋だらけのゴミ屋敷…そんな教養も品性も感じられないなるべくして貧乏な人が世の中にはたくさんいる。

残念ながら、彼らは同情に値しない。

いや、そもそも同情に値するほど「まともな生活」が送れる時点で、元々貧乏なことはあれど、貧乏に堕ちてしまうことは少ない。

もちろん、「運がない」「清貧」「貧乏でも勤勉に頑張ってる人」もいるし、元手になるお金すらなくて何も行動が起こせてない人…も、いるにいる。

でも、大多数の貧乏はそれ以前の問題だと感じる不可解な行動、同情の余地が無いクズな行動をする人は多い。

そして、そんなバカでも愚か者でも人間の形をして生まれてきただけで、人権がある。

多くの人は貧困問題・報道は誤解してる。

「貧乏人が可哀想だから助けよう」

マスコミはバカな大衆に合わせて「女性の被害者」ばかりを報じて、「貧困はかわいそうだから助けられるべき」と印象操作をしてる。

若い女性であればあるほど、性的に見られやすい立場であればあるほど悲壮感が出るため、そういう人達の貧困ばかり報じられ、それらはとても筋が悪い。

筋が悪い報道にネット上の人が「貧困女子・貧困JKよりも俺のほうが質素な生活をしてるからあんな奴らかわいそうじゃない」という的外れな批判を打ち返してる。それらはとても頭が悪い。

そういうことじゃないんだよ!!

まず、人権ってのは同情に値しない人間にも与えられてるんだ。

なぜなら、クズをきちっとさせるか、クズに尊厳を認めるかしないと、街全体が病んでいって、巡り巡って税金をたくさん払ってるお金持ちにまで迷惑や面倒が及ぶからね。

それらは日本なんかよりも遥かに格差があった、昔のヨーロッパで生まれた権利。

今の日本にいる貧乏人よりも遥かに荒み、教育も受けてなかった頭の悪い昔のヨーロッパの貧乏人に対して、なんで人権を与えたか?教育をしたか?

高額納税者はどれだけ与えても嫉妬とヘイトの対象になるのに、なぜ施しを与える道を選んだ?

それは、川崎みたいな街に住めばわかる。

ホームレスみたいな人や不良を野放しにしてた結果として貧乏な人、おかしな人、荒んだ人がつけた傷跡、彼らの存在自体が「病んだ街」を作ってしまうからね。

おかしなところにばかりお金をつかう人間がいっぱいいるから、駅前で女の子をスカウトする人が出てくる。

貧困と不幸の連鎖は多くの人を巻き込む。 

病んだ街の病んだ部分を作ってる巻き込まれないために、

または巻き込む側の人間に少しでも分別をつけさせて病み具合をマシにするために、人権を認めたり、教育をしたり…そういうことに何百年前の人はお金をつかうべきだと考えたんだよね…。

べつにかわいそうとかなんとかでやってるわけじゃないんだよ!

誤解するような報道とそれを絶賛する人、その人からスマートさを感じないとアレが悪いこれが悪いとイチャモンつける人がいるけど…そもそもが間違ってるわ!

だって、スマートに生きられない人が貧乏なんだもん!

ウソとか、我田引水な捏造に結びつくからホント「貧困=若い女性」みたいなイメージ戦略やヤラセ演出自体にいい加減にして欲しい。

そして、「貧困=清貧」「合理的にすべきことをしているのに貧乏」みたいな報道も批判も本当に筋違いだし、貧乏人をちゃんと見たことないのかな…と思う。

そういう人がいないとは言わないけどさ…「かわいそうだから」みたいなもので世の中が回ってるかのように言われること、言い続ける人がいること自体が欺瞞だなぁ〜と思うわけです。

これもよく「かわいそう」で片付けられる論争だけどさ…教育を受けてない、受けるだけの重要性を理解してない親に育てられたらどんな奴が育つか?ってのが大事なところなわけさ。そういう話をしてる人が少ないことにモヤッとしてるから言うんだけど。

 

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貧困問題について書いたもう1つの記事。こっちの方がよくデキてると思う。

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