神奈川で高校野球が盛んになるまでの歴史的経緯の話

時々ランチに行く食堂があるのだが…その食堂でたまたま一緒になったおじさんと、世間話をした。

 

ここの居酒屋は、ぼくがダイエットする前からよく通ってて、頼んでもないのにご飯を大盛りにする
「マスター、いつもの」
ができちゃうお店だったわけだが…、ぼくがご飯の普通を頼んだことからダイエットしてることが発覚。

それで、せっかくだから痩せた話をマスターにしたところ

「病気になったら、筋肉が落ちて勝手に痩せるんだ…」

とジジイトークを炸裂させてくれる気さくなおじさんが近くに座ってた。

と同時に
「アスリートはみんな筋肉つけながら痩せるんだ。大谷翔平なんかすごいじゃないか」
というもんだから、最初は「最近野球にお熱になったおじさんかな?」と思って、

大谷は別格ですよ
(野球オタク翻訳:大谷はアスリートの中でもストイックな部類なので、あんなアスリートは他にいません)

とジャブを入れたところ、このおじさんは

あのぐらいやらないと日本人はメジャーで通用しないんだ
(野球オタク翻訳:そんなことはわかってる。だが、アメリカで頂点に立つためには【あんなヤツいない】というレベルでないと、凡百のメジャーリーガーで終わるんだ)

という、野球オタク同士のやり取りが成立した。

野球オタクは日本中にいて世代も幅広いのは知ってたが…こうやってたった一言のやり取りで

「おぬし、できる!!」

という心を通わせた瞬間はめっちゃ嬉しかった。

 

野球オタクとわかると…球歴を聞き出した。

球歴:学歴・職歴に勝るとも劣らない野球オタクにとって重要な経歴。野球経験自体は少なくても、野球オタクとして幅広い知識を持っている者もいれば、名門校を生で見た猛者もいるため、単純な野球経験を聞き出すためにも重要なやり取りだ。自己PRの名乗りの場であり、相手の地雷を踏まないように確認するビジネスパーソンで言う名刺交換のような意味を持つ)

すると、「高校球児だった」と言い、友人には神奈川の名門校でプレイした人もいる歴戦の野球戦士だった。

野球戦士:野球経験者のこと。実際に野球の修練を積んだ「単なる野球オタクを通り越して、実際のプレイや地元の野球事情にも精通している」ことで、野球を辞めた後にも、野球愛と実際のプレイを想像しながら野球を見ることのできる高度な野球オタクのこと。アナリストとしての能力は野球未経験者にも面白い人がたくさんいるが…細かいプレイにも口を出せるプレイヤー目線の話もできる。…ちなみに、私の造語だ)

 

そして、彼も私が野球オタクだと察して

「原辰徳の2つ上の先輩だよ」

と、現巨人軍監督であり、当時の神奈川野球界の英雄の名前を出して、当時の情勢を少し教えてくれた。

 

その中で
当時は80校ぐらいしか県大会に出てこなかった。今は200校ぐらいあるだろ?でも、あの時代は80校だったんだ
3分も話してないが、最近の野球オタクが絶妙に知らない情報を教えてくれた。

 

これはネタになる!
食堂のマスターとおじさんに笑顔でお礼をして、ルンルン気分で食堂を出た。

 

食堂のおじさんの時代は…確かに81校しか神奈川県大会に出てない!

歴史の生き証人が面白い話をしてくれたら、そこから確認して、検証して、その面白さを伝えるのは、僕らみたいなひよっこ野球戦士のお仕事

いや、ぼくも中田翔選手と同じ34歳だけど…これはアスリートとしてベテランでも、野球オタクとしてはひよっこですよ。
広島カープのファンなら3代4代の世襲は当たり前ですから…そういう歴史あるスポーツのファンとしてはまだまだ若手でございます。

おじさんの話通り…原辰徳が一年生の時(1974年)で、神奈川県大会は…81校。
原辰徳が3年生(76年)になった時でも、95校しか出ていなくて「嘘でしょ!?」と驚いた。

ぼくはイチロー以降の野球ファンなので、この年代の知識がほとんどないのだが…
V9(73年まで)の後だし、今より人口も多いから、高校野球もきっと熾烈を極めたはず
と思っていたら、逆にまだ高校野球は今ほど浸透していなかった!!

今を生きてる我々には、けっこう不思議なことですよね?
実際ぼくの見立てはそんなに間違ってなくて…

 

昭和49年…つまり、原辰徳が1年生で甲子園に出た1974年は、高校進学率が90%!
生徒数も平成8年まで以降は多いんです。
(※2017年までは190校以上神奈川県大会にでているため、生徒数と県大会の参加校がやっぱりずれちゃうんです)

 

ちなみに、高校の数は1975年で、180校あったそうで…今と違って、

生徒はいるけど、県大会に出られる野球部が半分もなかった
という、今の子が聞くと、よくわかんない情勢になっています。

これには3つの要因があります。

1、首都圏に人口が一極集中
2、神奈川の野球熱は1980年以降にヒートアップ
3、指導者資格の緩和にすご~く時間がかかった

1つづつみていきましょう。

地方は1.5倍増だったが、首都圏は2倍以上も高校野球の参加校が増えた

高校野球の盛り上がりはある程度は「プロ野球チームがあるかどうか」に依存します。

そのため、人口の割にプロ野球チームが多かった兵庫・大阪では、1970年代半ばまではむしろ関東よりも県大会の出場校が多かったんです。
東京は1974年に分割されるほど学校が多かったので例外ですが…むしろ、分割されたことで兵庫・大阪の方が激戦区になるというよくわかんないことが起こりました。

この傾向は現代でも名残として残っていて、
・春の選抜高等学校野球大会では、関西勢の出場枠が多く、関西のチームが優遇されている。
・プロ野球選手はチームを問わず関西弁で喋ったり、高校以前まで関西圏出身の選手が多いのは、昔からの激戦区で、指導者も選手もチームも熟成されているから。

つまり、
東京の大学野球から始まったスポーツなのに、高校野球大会も関西で行われ、プロチームも多いことから、関西こそが野球のメッカ!
という風潮が、1970年代半ばぐらいまでは当たり前だったのです。

だから、関西のニュース番組は阪神タイガースの報道がめちゃくちゃ多いし、阪神が優勝すると警察に静止されても道頓堀川に飛び込む人がいるわけです。
だって、「関西の国技は野球」なんだから。

 

 

しかし、この状況は首都圏一極集中で、人口が増えたことで変わってきます。

確かに、ON人気・高校進学率の増加から、1970年以降は2000年をピークに高校野球の県大会参加校は増加傾向になっていきます。しかし、問題は「増え方」
地方では1.5倍ぐらい増え、元々野球が盛んだった関西も地方並みの増加。
しかし、千葉や神奈川では2倍以上に膨れ上がりました。

さらに、
「人口が多いけど、選手のネームバリューはそこまででもない」
という埼玉県・宮城県・北海道と違って、千葉と神奈川はスターを産んだことが大きかった。

 

それも、当時テレビで報道されてた巨人軍の中に、
「千葉出身の長嶋茂雄と、神奈川出身の原辰徳」
といった、国民的スターが出てきちゃったもんだから、野球人気が人口が同じぐらいの埼玉よりも先行しちゃったわけです!(埼玉からも斎藤雅樹が出てきますが…この2人ほど人気があるかと言われると…ね?)

特に一番人気の長嶋茂雄を出した千葉県では、阿部慎之助・高橋由伸・丸佳浩などスケールの大きい名選手がコンスタントに出てくる野球王国になりました。

高校野球の千葉県勢は1975年以降優勝できてないし、他県ほど圧倒的な学校がないから千葉に高校野球のイメージがないのですが…東京や神奈川に留学したり、大学進学で頭角を現す逸材が、なんか千葉から出てくるんです。

そして、その千葉県を凌ぐ勢いで、出場校が増えていったのが神奈川県なんですね。

 

原辰徳の台頭+横浜スタジアムで神奈川の野球熱が加速

プロチームという意味でいうと…神奈川はとにかく影が薄かった。

今と違って、プロの試合は川崎球場で行われていたから…横浜市民からすると「小汚い」イメージ。

川崎の街も当時は工業都市だったから小汚い。
加えて、川崎球場を本拠地にするチームも他と比べるとコロコロ変わる。

おまけに、22年も腰を据えてくれた大洋ホエールズは…巨人・阪神・中日らと比べるとなんだか地味。

野球詳しい人でも、
・大洋初優勝を引き寄せた大エース「秋山登」
・長嶋茂雄の天敵!?カミソリシュート「平松政次」
・プロ野球の歴史で最も奇抜な打法の1つ!?天秤打法「近藤和彦」
以外の大洋の名選手が言えたら、かなりツウですよ!?

私でも大洋の川崎球場時代の有名人ってこのぐらいしか名前が思い浮かばない!!
巨人・広島なら10人以上は名前が出せると思うけど…大洋は…20年で3人しか名前が出ない。そのぐらい地味!

そんな大洋が、1978年に、横浜スタジアムに来てくれることになり、
その少し前に原辰徳が3年連続甲子園に出て、地方大会なのに川崎球場を満員にするほど人気もあって…ようやく

野球って、東京までわざわざ見に行くもんじゃなくて、神奈川でも楽しめるんや
と、みんなが思うようになってきて、野球ブームが神奈川に来た感じです!

いや、今考えるとちょっと信じられないんだけど…1980年ぐらいまでは絶妙に神奈川は不遇だったし、東京に野球チームが固まりすぎてたから…本当に野球人気が出なかった。

それを原辰徳と東海大相模が変えてくれたことで、ようやく種が蒔かれて、県大会の出場校が200校を超える日本一の激戦区になった感じです。
予選チームが少ない時から神奈川勢は強かったには強かったんだけど…県民的スポーツでかつ名選手も多い感じになったのは、横浜スタジアムと原辰徳の存在あってこそのものです!

なんなら、東京出身の松坂大輔・千葉出身の涌井秀章辺りが野球留学で神奈川に来ちゃう感じになったのは、原辰徳から繋がった物語と言ってもいいんじゃないですかね!?

そのぐらい神奈川で野球熱が強くなって、学校側も「野球で知名度上げて、学校に人を呼び込むんだ」という機運を実践して、野球留学する人を受け入れたり、スカウトしたりするようになって…200校のありながら、質もめちゃくちゃ高い高校野球に育っていったんじゃないでしょうか。

 

学生野球資格回復研修制度が1984年に固まったことで、さらに加速

「いうても、200校前後の県大会が行われるのは、原辰徳でも、横浜スタジアムでもなく、1986年じゃないか」
というご意見もあると思うので、少し補足。

 

1984年に、「教員歴10年以上の元プロ選手は高校野球の指導をしてもいいよ」という学生野球指導資格のルールが固まったことで、野球部顧問のなり手が増えました。

これが、トドメとなって、1983年時点で162校だった神奈川県大会の参加校が、2000年の最盛期に207校まで行くほど野球部はどこの学校にも作られるようになりました。
野球ブームが世の中に知れ渡ってから5年10年ぐらいは、「他の部活と同じぐらいのノリで野球部の顧問を誰かにあてがって、適当にやればいいや」というノリだったのですが…元プロ選手が教えられるようになると指導者の量も質も増えて、2000年前後の高校野球戦国時代をもり立てることになっていきます。

 

本来、顧問の先生というのは、引率ぐらいの役割しかないです。
割に合わないし、専門知識もある先生に当たるとも限らないから部活はおまけなんです。

でも、どこの学校にも野球部ができるとプロ出身の選手が教えてくれることがオプションになるし、
学校の先生も「部活とかめんどくさいから、やりたい人にぶん投げたい」と思ったのか(?)

2013年にはついに、教員歴がないプロ選手でも、研修を受ければ、高校野球が指導できるようになりました。

少子化して神奈川県大会でさえ、今は167校まで予選の規模が小さくなっていますが…プロ出身の指導者が増えたことで、濃密になって行ってるかと思います。

もちろん、カオスや群雄割拠は多くのプレイヤーがいてこそ!
「だから松坂世代こそが面白い」
という人もいるし、それはわかるのです。

プロが教えることになったことで、高度化していく高校野球というのも、ちょっと期待してます。

おまけ:慶應高校の甲子園優勝で「時代が一周した」という話

1970年代半ばまでは、今の半分しか県大会に出ていなかったことからもわかると思うのですが…

高校野球どころか、高校進学率が低かった時代の高校野球は「インテリのスポーツ」だったのです。

しかも、(高校野球の前進である)第2回全国中等野球大会の関東大会は、関東大会なのにまさかの早慶戦!

(※ちなみに、この当時の慶應は東京にあったから、実質的には出場校2校の東京大会)

しかも、全国優勝しているのが慶應というのが、また面白い!

 

戦後、神奈川に慶應高校が移ってきても、1962年まではコンスタントに甲子園出場してました。
しかし、野球が浸透し、出場校が増えてくると…2008年まで甲子園出場できなくなります。

野球黎明期の名門校というのは、野球ばっかりしてる頭まで筋肉でできた脳筋に負けて淘汰されることが多いのですが…慶應も例外ではありません。
めちゃくちゃ弱かったわけじゃないんですが…野球に特化したスポーツマンを前にインテリ達はなすすべがなかったのです。

そんな脳筋の時代には神奈川県大会で優勝できない日々が続き、南北が分割されてようやく甲子園出場。
そして、2018年にも南北分割の恩恵を受けて、また甲子園出場。

2023年に、やっと県大会で優勝して、堂々と甲子園に行き、ちゃんと全国優勝しました。

 

しかも、慶應らしく生意気に、脳筋化した高校野球と思いっきり決別して、

・上下関係もなし、髪型も自由
・エンジョイベースボールで試合中も笑顔を絶やさない
・慶應高校の頭も良くて、アイドル級にかわいくて実家が極太という非の打ち所がないチアガールに応援されて

しかも優勝という…

修行僧みたいな生活を送ってる大阪桐蔭の選手が泣いとるぞ…

と脳筋になるほど人生を野球に捧げたのに負けた高校球児に涙する高校野球ファンが続出の展開。

 

私も、正直言うと「気に入らない」というか、「存在そのものが理不尽」に感じちゃうのですが…同時に思ったのです。

「時代が、一周した…」

野球って元々インテリのスポーツだったのです。

ところが、競技人口が増えると、運動能力が高い人・高校野球に特化した戦術が横行して、高校野球に特化するほど野球にすべてを捧げた学校が勝つようになったのです。

しかし、今度は「インターネットによる情報の民主化」によって、トレーニングも戦術も勉強できる頭のいいヤツが全部身につけて、効率よく勝利するインテリが強い時代にまた戻ってきたのです。

もちろん、智弁和歌山みたいな「実は進学校」みたいな学校もあるから、一概に
「慶應高校が高校野球を新しい時代に進めた」
と断言する気はないのですが…慶應高校という全国的にエリートでインテリの象徴みたいな学校が、アンチテーゼを乱発しながら新しい時代を作り、時代を一周させたと考えた方が…なんかエモいですよね。

 

そして、この話って

頭のいいヤツが全部を持っていく時代のスタート

というスポーツマンにとっては寂しい時代に見える一方で、

「情報はそこら中に転がってるんだから、キミだって正しい努力をすれば、人生を全て捧げた人に勝てるかもしれないよ」

という希望でもあります。

 

…まぁ、大半の汚れちまった大人たちのツッコミどころは

「You can do it!」
「Yes you can!」

の方に対してではなく、

「どうやったら俺たちは、非の打ち所がないアイドル級のチアガール応援されるんだよ」

ってところなんですけどね。

神奈川の野球の話をしまくったから、オチは横浜ファンのマンガ家さん。
ちなみに、同人サークル名が「横浜の空高く」なので、もう野球ファンなら【こやつ、できる!】という波動をビンビン感じるはずです。

 

ちなみに、代表作はこれなので「いっぱいこの人のマンガを読みたい」と思ったらこっちを手にとってね。

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